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美術館訪問記 - 454 グロベ=ラバディエ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:グロベ=ラバディエ美術館外観

添付2:リビング ルーム 写真:Creative Commons

添付3:プリミティブ ホール 写真:Creative Commons

添付4:ルイ16世のサロン 写真:Creative Commons

添付5:15世紀フランドル作タペストリー
「ソロモンとシバの女王」 写真:C.C.

添付6:ムリーリョ作
「羊飼いたちの礼拝」

添付7:フラゴナール作
「ヴィーナスの誕生」写真:Creative Commons

添付8:フェリックス・ジエム作
「フランス軍旗艦ビュサントール」

マルセイユ美術館前の広場の反対側に「グロベ=ラバディエ美術館」があります。

1873年、実業家であり芸術家でもあったアレクサンドル・ラバディエによって 建てられたエレガントな邸宅がそのまま美術館となっています。

彼の一人娘マリーは、2度の結婚で何れも夫に先立たれるのですが、2度目の夫、 ルイ・グロベの姓を入れて、マリー・グロベ=ラバディエと名乗っていました。

彼女は父から受け継いだ豊富な財産を使い、裕福だった夫と共に ヨーロッパ中を巡り、7千点以上の美術品を収集して邸宅を飾りました。

子供のいなかった彼女は2度目の夫の死後、この邸宅とコレクションをそっくり マルセイユ市に寄贈。市は1926年、美術館として開放します。

収集品は多彩で、16世紀から18世紀にかけてのフランス絵画、 中世やルネッサンス期の彫刻、家具、フランドルのタペストリー、楽器、衣装や 陶器などが3階建ての邸宅の各室や階段、廊下を飾っています。

当時の芸術好きの知識階級だった大富豪の生活風景を垣間見られ興味深い内容です。

フランス絵画以外では唯一、ムリーリョの「羊飼いたちの礼拝」がありました。 ムリーリョは19世紀末まではフランスではスペイン第一の画家と見做され、 ラファエロをも凌ぐと言われる事さえあったのです。

フラゴナールの「ヴィーナスの誕生」は師事した事のあるブーシェを彷彿させる 構図ですが、描かれた女神たちはより豊満な姿態となっています。

バルビゾン派の画家たちと親しく、ターナーやロランを信奉し、 旅をこよなく愛した異端の画家フェリックス・ジエムの作品もありました。

フェリックス・ジエムは1821年、ディジョンに近いボーヌで、ポーランドから 移住して来た仕立屋の家に生まれ、建築家になるべく兄の住んでいた マルセイユで設計者として働き始めます。

製図工としてオルレアン公爵に認められ、製図教室を開いたのが当たり、 資金を蓄えて弱冠20歳で、南仏やイタリアを旅行しながら 描いた絵を売る生活を始めます。

特にヴェネツイアが気に入り、ここにある「フランス軍旗艦ビュサントール」も そうですが、ヴェネツィアで描き溜めた素描がその後の油彩画の基になっています。

1849年にはパリへ移り、バルビゾンにいたテオドール・ルソーやミレーと 親しくなり、一時的なバルビゾン派の一員として パリとバルビゾンを往復しながら暮らし始めます。

しかし旅好きな彼は、その後30年間、ヨーロッパ中を一人で旅して廻り、 大好きなヴェネツイアには少なくとも年に2回は滞在する生活を送ります。

1880年、ニースにスタジオを構え、パリにいない時はここで暮らし始め、 83歳でニースで結婚。

19世紀絵画の特別な位置を占めるこの作家は、 遠い異国の地を夢見る多くの人々の心を、そのキャンバスで虜にしました。

多産だった彼は生涯に1万点以上の油彩画を残し、 生存中にルーヴル美術館に展示された最初の画家となり、90歳でパリにて没。

この美術館はフランスでは珍しく撮影禁止。 従って今回添付写真は外観を除いて全てインターネットからの借用です。