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美術館訪問記 - 451 ナント美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ナント美術館正面

添付2:ナント美術館内部

添付3:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作
「聖ヨセフの夢」

添付4:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作
「聖ペテロの否認」

添付5:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作
「生誕」
レンヌ美術館蔵

添付6:ペルジーノ作
「聖セバスチャンとフランシスコ会僧」

添付7:アングル作
「ド・スノンヌ夫人」

添付8:グルーズ作
「ギタリスト」

添付9:グルーズ作
「可愛い数学者」
モンペリエ、ファーブル美術館蔵

添付10:ナント美術館内部

続く15都市の一つがナント。フランスの西部、フランス国内で最も長いロワール川が大西洋と合流する港町で、人口30万を超えるブルターニュ地方最大の都市です。

ナントと聞くと「ナントの勅令」が思い浮かぶ人が多いでしょうが、この勅令はフランス国王アンリ4世が、反プロテスタントのカトリック同盟の最後の砦だった、ナントで1598年発令したものです。

これによりプロテスタント信徒に対してカトリック信徒とほぼ同じ権利を与え、初期近代のヨーロッパでは初めて個人の信仰の自由を認めたものでした。

1801年、内務大臣シャプタルの政令により「ナント美術館」は創設されました。その時ルーヴルから来た43点に加え、1810年にナント出身の政治家フランソワ・カクーの1353点もの所蔵品をナント市が買い取ってから本格的なコレクションが形成され、1830年に一般公開されました。

現在の建物は、コンペティションを勝ち抜いたナント出身の建築家ジョッソの設計で1900年に竣工しました。広くて明るい中央空間は美術館建築の一つの手本になっているのだとか。

コレクションには13世紀イタリア絵画から現代まで幅広い作品を揃え、フランス地方美術館としては一流です。

特にジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「聖ヨセフの夢」、「聖ペテロの否認」、「老人」の傑作3点を所蔵していることで知られています。ラ・トゥールを3点以上所蔵しているのは世界でも6点のルーヴルとここだけです。

これまでも触れたように、1915年、当時のバロック絵画の権威、へルマン・フォスによって見出されるまで、ラ・トゥールは美術史上に存在していなかったのです。つまり彼の名前の付いた絵は世界に1枚もなかった。

現在彼の作とされているものは、それまでは全て他人の作と考えられていたのです。

へルマン・フォスは先駆者としての直観により、ここにある「聖ヨセフの夢」と「聖ペテロの否認」とレンヌ美術館にある「生誕」とを関連付けて、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという稀代の夜の画家の存在をあぶり出したのです。

特に「聖ヨセフの夢」はラ・トゥールの代表作と言える完成度で、天使の右腕によって隠された蝋燭の光の中で浮かび上がる天使の横顔は神秘的で霊的というよりは確かな存在感を感じさせますし、ヨセフの表現も絶妙です。

闇を照らす蝋燭の炎による光の効果は絶大で、夜の場面に相応しい静謐感や、宗教的主題の深い精神性を醸し出しており、「夜の画家」の本領発揮と言えます。

その他にもコスメ・トゥーラ、ペルジーノ、アングル、クールベ、グルーズ、バーン=ジョーンズ、カンディンスキー等の佳作が目白押しでした。

グルーズも何回も名前を出しながらまだ説明していませんでした。

ジャン=バティスト・グルーズは1725年、リヨンとディジョンの中間にあるトゥールニュで生まれます。幼少時から絵画を好み、グランドンという肖像画家の手ほどきを受け、商人になるよう勧める父の反対を押し切り、1750年頃師のグランドンと共にパリに出ます。

1755年、サロンに初入選し、グルーズの作品を「繊細で感受性に富んだ魂」と称賛したディドロなど著名な批評家や文化人などと交流しつつサロンへ作品を出品し続け、名声を高めていきます。

1769年、王立絵画・彫刻アカデミーへの入会作品として描いた絵が、当時最高位とされた歴史画家として承認されることはなく、格下の風俗画家としてならアカデミー正会員に迎えられるとの裁定を受け、入会を断り、サロンへの出展も止め、自身を支持する市民階級層のために作品を手がけ、自分のアトリエを開放して一般に作品を見せたりもしています。

彼は一連の美少女もので大衆的な人気を得ますが、フランス革命後は忘れられた存在になって行き、1805年、貧困の果てに没します。

なおここにあるグルーズの「ギタリスト」は、ほぼ同じものを第224回のワルシャワ国立美術館でも紹介してあります。