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美術館訪問記 - 447 ファーブル美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ファーブル美術館正面

添付2:フランソワ=グザビエ・ファーブル作
「自画像」

添付3:ファーブル美術館内部

添付4:クールベ作
「クールベさん、今日は」

添付5:ドラクロア作
「アルフレッド・ブリュイヤスの肖像」

添付6:スルバラン作
「大天使ガブリエル」

添付7:バジール作
「バジールのアトリエ」 オルセー美術館蔵

添付8:バジール作
「村の眺め」

添付9:ルノワール作
「バジールの肖像」

添付10:モネ作
「バジールの肖像」

前回触れたフランス、モンペリエはマルセイユの西100㎞ほどにある古都で、「ファーブル美術館」は4階建ての堂々たる大美術館。

ダヴィッドを師と仰いだ画家で美術コレクターでもあったモンペリエ出身のフランソワ=グザビエ・ファーブル(1766-1837)が自分のコレクションをモンペリエ市に寄贈したものを基に1828年の開館。ファーブルは自ら初代館長の任に就きました。

彼は1787年のローマ賞を獲得してイタリアに渡り、その後はフランス革命の混乱を避け、生涯のほとんどをイタリアで過ごしています。自画像も含め彼の作品は31点、展示されていました。

この美術館はその後も、モンペリエゆかりの多くの人々から寄贈を受け、別棟が建てられているためか、動線は複雑で、部屋の番号を確かめながら順に回って行かないと、一部見落としかねません。

クールベの才能に一早く目をつけ、スポンサーとして多くの彼の作品を入手し、それらに加え、数多くの画家達のコレクションをこの美術館に寄贈したアルフレッド・ブリュイヤスもまた、モンペリエの生まれでした。

クールベの有名な作品「クールベさん、今日は」に登場する美術愛好家がブリュイヤスで、彼は画家達への援助の意味もあり、自分の肖像画を描かせたのでしょう。この美術館にはドラクロアをはじめ錚々たる画家達の手になるブリュイヤスの肖像画が実に15点もありました。

クールベ16点、ドラクロワ8点を始め、古典から近代絵画まで、54部屋もある展示場には名画が勢揃いしています。

その中からかつてのファーブルの寝室に掛けられている、子どもらしい、神秘的なやさしさが表された、スペインの巨匠スルバランの傑作「大天使ガブリエル」を添付しておきましょう。

ここに来たらモンペリエ出身の夭折の画家、フレデリック・バジールに触れない訳にはいきません。

バジールは、裕福なモンペリエ在の家庭に生まれ、成績優秀で医者になるべくパリに出ます。そこでルノワールやモネと会い, 印象派絵画に引き寄せられ、元々絵画に興味があった彼は、絵画の道へ進むことを決意します。

マネが住み、通りにあったカフェ・ゲルボワで彼を慕う画家たちが議論を重ねたバティニョール通りの近くに構えた彼のアトリエ兼住居は、後に印象派と呼ばれる画家たちのたまり場となって行きます。

彼の描いた「バジールのアトリエ」は当時の状況を現在に伝えてくれます。

画面中央やや左に描かれる背の高い人物がバジールで、マネ(山高帽の男)とモネに自身の作品を見せており、画面左部の階段では批評家エミール・ゾラ(階段上の人物)とルノワール(階段下の人物)が会話しているほか、画面右部では画家の友人の音楽学者メートルがピアノを弾いています。

このバジールの姿は、バジールが仲間の肖像を描き終えたあと、マネがバジールから筆をとり、彼の肖像を描き加えたもので、バジールが父親にそう書き送った手紙が残っています。

元々はバジールの自信作でサロン入選作でもある「村の眺め」がイーゼルにかけられていたのですが、マネはこの傑作に嫉妬してバジールの姿でその絵を隠してしまったのではないかと推測されています。

その「村の眺め」はこの美術館に展示されていますが、キャステルノー=ル=レズの村を背景に若い娘が座する姿で、初期の印象主義作品中、屋外での肖像画の代表作としても知られています。

陽光が射し込み、背後の樺の木が落す柔らかい陰影の中、白く品の良い衣服に身を包む娘は印象的な瞳で観る者と視線を交わらせています。

木陰に腰を下ろす少女、背景の緑とコントラストをなす明るい色の洋服、まぶしく光り輝く太陽の光など、心地よい空気感や陽射しの質感などはアトリエ制作では得られない屋外制作での絶大な効果を良く示しており、画家の豊かな才能を感じさせてくれます。

その類稀な画家の才能は、モネに「あなたは非常に恵まれた才能を持つ、あらゆる条件を満たした画家であり、であるからこそ素晴らしいものを描かなければならない」と言わしめるほどでした。

裕福で気前がよい性格のバジールは、友人たちへの援助も惜しまず、貧しかったルノワールには一部屋とアトリエや画材を貸し、同じく困っていたモネのサロン落選作を2,500フラン(約250万円)で買い取り、月に50フランずつの分割払いにして援助したりしています。

彼は1870年勃発した普仏戦争に志願し、同年10月28日、戦死、享年28歳。バジールの死は他の印象派の画家たちに多大な衝撃を与えたのでした。

バジールの遺族がこの美術館に寄贈した彼の14作品と共に、朋友だったルノワールとモネがそれぞれバジールの姿を写した作品が展示されていました。