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美術館訪問記 - 441 長崎県美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

長崎県美術館入口

添付2:長崎県美術館横面

添付3:長崎県美術館屋上庭園からの眺め

ある年代以上の日本人は、広島と聞くと長崎も連想する人が多いようですが その長崎市にある県立美術館が「長崎県美術館」。

長崎市は学生時代、夏休みに友人と九州本土全部と壱岐・対馬を 1ヶ月かけて貧乏旅行した時に3日程滞在しましたが、 その時は美術館には全く興味がなく、意識にありませんでした。

尤も、この美術館は2005年の開館で、前身の長崎県立美術博物館が1965年11月の 開館だそうですから、1965年の夏に旅した私にはどのみち縁はなかったのですが。

長崎市出島町にあり、海浜公園と長崎港に隣接する素晴しい環境に恵まれています。隈研吾が設計した建物は、幾つもの建築関係の賞を受賞しているとかで、 運河を挟んで2棟が2階の「橋の回廊」で結ばれ、 全面ガラス張りの建物はそれ自体が美術作品となっています。

運河を跨ぐ美術館というのは世界でもここだけでしょう。

潮風を受けながら女神大橋を遠望できる屋上庭園からの眺めも眼福の一つ。

2011年初、NHKの日曜美術館で長崎県美術館が登場し、 行ってみようと思い、夏に足を延ばしたのでした。

その時紹介されていた須磨コレクションを楽しみにしていたのですが、 残念ながら期待していたクラシック作品は作者不詳の駄作ばかりで、 肩すかしを食いました。

須磨弥吉朗が第2次世界大戦の最中、駐スペイン特命全権公使として収集した 1800点もあったというスペイン絵画は戦後スペイン政府に没収され、 その後500点ほどが返還され、 その内の主要作品が長崎県美術館へ寄贈されたということなのですが、 スペイン政府も返しても惜しくない作品だけを選り抜いたようです。

テレビ番組で紹介されたグレコやムリーリョ達の作品は他美術館所有の物を 一時的に借用展示していたということのようでした。

但し、ピカソやミロ、ソローリャ、バスケス・デイアス、タピエス、 アントニオ・ロペス・ガルシア等のスペイン近代絵画のコレクションは 十分観賞に値します。

長崎県美術館が独自に収集したという、長崎県人を両親に持つ 鴨居羊子、鴨居玲姉弟の展示は、羊子44点、玲15点もあり、 今やこれらがこの美術館の最大の見物になっているかのようです。

鴨居羊子は、今は知る人も少ないでしょうが、 大阪読売新聞の学芸課記者を退職して1956年、下着メーカーを設立。

戦後、白い質素な下着しかなかった時代に、自分でデザイン、製造した カラフルなスリップ、ガーターベルトなどの下着を売り出し、 当時では考えられなかった下着の個展やショウを開催するなどして成功しました。

デザイナー、画家として活躍する傍ら、文筆活動にも才能を発揮し、 ミュージカルや映画までも創作しました。

弟の鴨居玲は活発で意欲的な姉とは好対照の、華奢でひ弱で破滅型。

画業が唯一自分の思うがままに振舞えるエリアだったようで、 デザイナーの妻のフランス留学に同行したことから、諸国遍歴を経て帰国後に 才能を発揮し、41歳での安井賞受賞を機に頭角を現します。

暗く鬱々として、苦悩が行き場を求めて彷徨い歩いているような絵を描き続け、 何度も自殺を試みて果たせず、晩年は創作に行き詰まり、 57歳で閉め切った車中で排気ガスを充満させ自殺します。

彼の苦悩の叫びにも似た作品は、観る者を引きずり込まずにはいないでしょう。

スペイン近代絵画と鴨居姉弟の作品群が、 建物だけは観賞に耐えるが、中身はお粗末という 日本の地方県立・市立美術館によくみられるパターンに堕するのを防いでいました。

(添付4:パブロ・ピカソ作「鳩のある静物」、添付5:アントニオ・ロペス・ガルシア作「フランシスコ・カレテロ」、添付6:鴨居羊子作「さようなら」 および 添付7:鴨居玲作 「自画像(パレット)」は著作権上の理由により割愛しました。
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