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美術館訪問記 - 437 ふくやま美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ふくやま美術館正面

添付2:ふくやま美術館内部

添付3:岸田劉生作
「橋」

添付4:岸田劉生作
「静物(赤き林檎二個とビンと茶碗と湯呑)」

添付5:岸田劉生作
「晩春の草道」

添付6:岸田劉生作
「道路と土手と塀(切通之写生)」
東京国立近代美術館蔵

添付7:岸田劉生作
「新富座幕合之写生」

添付8:岸田劉生作
「麗子十六歳之像」

添付10:セガンティーニ作
「婦人像」

前回の尾道市から10kmも東に行くと広島県福山市があります。 山陽新幹線も停まるJR福山駅前は広い福山城公園となっていますが、 その公園内の一角にあるのが「ふくやま美術館」。

公園入口から美術館まで参道のような広い舗装路があり、 美術館に向かって左手には、100m余りの所に2本の尖塔がある茶褐色の大きな 教会が見えました。日本にもこんな教会があったのかと、後で調べたら ホーリーザイオンズパークセント・ヴァレンタインという結婚式場でした。

美術館は2階建ての横長の長方形の建物で、入口にアルナルド・ポモドーロ作の 「球体」という、ニューヨークの国連本部前にある彫刻の縮小版のような ブロンズ彫刻が置いてありました。

その先には吹き抜けのホールがあり、その中央にジャコモ・マンズー作の 「大きな踊り子」という、タイトル通り高さ3m程の男性の踊り子のブロンズ立像が 鎮座しています。

ここは1階が企画展用、2階が常設展用で、企画展は現代作家のものでしたが、 2階の3室だけでもシャガール、キリコ、クールベ、ドラン、マルケ、ピカソ等の 海外作品、梅原龍三郎、北川民次、小磯良平、里見勝蔵、須田国太郎、中川一政、 林武、舟越保武、平櫛田中、安井曾太郎等の国内作品が勢揃いしていて見応え十分。

中でも岸田劉生の5作が印象的でした。

「麗子像」などで有名な岸田劉生は1891年、東京の生まれで、 黒田清輝が指導する白馬会葵橋洋画研究所に入り、油絵を学んでいます。

ここにある岸田劉生の5作品を年代順に観てみましょう。 何れも訴求力と意味のある佳品揃いです。

「橋」は1909年作と劉生の最も早い時期の作品。当時18歳。 劉生は1908年から本格的に油絵を学び始め、この絵には指導を受けた黒田清輝の 影響を残すものの、人々の行き交う橋を大胆な構図で描いています。

これは浮世絵の江戸風景にも通じる視点ですが、劉生が生まれ育った東京の下町を、 油絵として表現するという、意欲的で清新な作品。

「静物(赤き林檎二個とビンと茶碗と湯呑)」は1917年の作。 1916年7月、肺結核と診断された劉生は、翌年に神奈川県藤沢町鵠沼へ移り、 室内での制作を余儀なくされましたが、 この時期に静物画で優れた作品を数多く生み出しています。

ものの実在に迫った、密度のある描き込みは、ガラスビンや陶器の硬質な感じと リンゴの弾力ある軟らかさをも巧みに描きわけています。

「晩春の草道」は療養中の1918年のもので、アトリエ付近の風景を描いたもの。 爽やかな青空の下に左からの道が画面手前の中央で情報に曲がり、 上部へ向かって真っすぐに伸びています。この3年前に描いた彼の代表作の一つ、 重要文化財「道路と土手と塀(切通之写生)」を彷彿とさせる風景画。

「新富座幕合之写生」は1923年作。 関東大震災で焼失するまで東京・京橋にあった新富座に、劉生は足繁く通い、 役者や舞台への造形的、色彩的関心を、作品制作の源泉としていました。

劉生の晩年に集中する近世風俗画や浮世絵に触発された作品や、 歌舞伎に取材した一連の作品の中の1つです。

「麗子十六歳之像」は16点の油彩画を含む一連の「麗子像」の最後となる 記念碑的作品。1929年正月、麗子に初めて日本髪を結わせて晴れ着姿で制作を開始。 6月まで手を入れて完成。その後満鉄の松方三郎の招きで生涯ただ一度の外遊に 出かけ、中国各地を回り、帰国直後、山口県徳山で胃潰瘍と尿毒症のため客死。

彼に念願だったパリに行ってもらい、古今の名画を吸収した後の絵が観たかった。

岸田劉生以外の作品も数点触れておきましょう。

熊谷守一の「女の顔」という1931年の作品はフォーヴィスムを思わせる 強烈な色彩と筆致で、晩年の形と色を単純化した色面構成による 素朴で独自な様式とは全く異なり、瞠目しました。

セガンティーニの「婦人像」は彼が25-6歳時の肖像画。 黒い服の老婦人の座像で、こちらを向いた顔の表情や装身具の光の具合など、 的確に描き出していて古典的な技法でも高い技量を持っていたことを示しています。

靉嘔の「椅子の上のヴァイオリン」は椅子の上に置かれたヴァイオリンを 椅子もろとも虹色の色彩で覆いつくすという立体作品で、 虹色を多用した彼の平面作品を見慣れた目には珍しいものでした。

(添付9:熊谷守一作「女の顔」および 添付11:靉嘔作「椅子の上のヴァイオリン」 は著作権上の理由により割愛しました。
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