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美術館訪問記 - 436 なかた美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:なかた美術館正面

添付2:なかた美術館1階展示室

添付10:なかた美術館雑誌展示コーナー

気が付いてみるともう3年以上も日本の美術館から遠ざかっています。 たまには私の記憶に残る日本の美術館を採り上げるのもよいでしょう。

先ず思い浮かぶのは広島県尾道市にある「なかた美術館」。

真の美術愛好家の心意気が伝わって来る清々しい美術館です。

船舶塗装や海運業のナカタ・マックコーポレーション本社新築にあわせて、 本社内に社長の中田貞雄(当時)が収集した絵画を展示するため1997年、開館。

館東側には散策できる日本庭園、1階にはレストランもある、5階建て。 2階までが美術館となっています。

9時の開館時間より少し早目に行くと既に開館していました。 こういう融通無碍な顧客本位のところが心地よい。

ここは看視員もおらず撮影可。1997年時点で撮影可にしていた日本の美術館は 皆無に等しいでしょう。ここのパンフレットには 「何度でも、訪れたくなる美術館」と謳っていますが、まさにその通り。

にこやかな受付の女性に入場料を払い、右手の第一展示室に入ると、 2階まで吹き抜けの円形の部屋で、白色の壁という開放感ある空間に ルオー、ルノワール、梅原龍三郎、林武、中川一政らの優品がかかっています。

中田が購入して自宅で飾って楽しんでいたのでしょう、 日本家屋に適合したほど良いサイズばかりで、ガラスのない素通し。 真の美術愛好家の美術館という事が第一展示室から伝わって来ます。

添付3の「ソランジュ」とはフランスの女性名。

梅原龍三郎の「三津浜富士図」は86 x 99cmという、中ではやや大ぶりの、 紙に岩絵具で描いた絵ですが、青、空色、緑という寒色系が 大部分を占めているのにもかかわらず、ほのぼのとして心安らぐ傑作でした。

2階からは「開館20周年記念Ⅱ 海から渡ってきたもの展」開催中で、 鴨居玲、北川民次、児玉幸雄、須田国太郎、鳥海青児、中根寛、中村琢二、 野口弥太郎、三岸節子などの海外居住経験者やポール・アイズピリ、 ピエール・クリスタン、アンドレ・ブラジリエ、カシニョールなどの海外から来た 尾道滞在画家たちの作品が展示されていました。

児玉幸雄(ゆきお)は1916年大阪市生まれ。関西洋画界や二科展に出品。 1957年に初渡欧。1965年にはアメリカ、メキシコなども周遊。 以後毎年のように渡欧して、ヨーロッパ各地の風景を描いています。

特に広場や市場など人々が集う情景を得意とし、重厚感のある絵肌と華やかな色彩、 活気あふれる表現で人気を博しました。

この美術館は1984年から公募展「絵のまち尾道四季展」を開催し、 開催に合わせてベテランから新進気鋭まで画家30余名を招いて来ており、 前記の海外画家達もその中に含まれていたのでした。

特にポール・アイズピリの収集に力が入ったようで、彼の油彩画26点、 アクリル画17点も所蔵しているのでした。

ポール・アイズピリは1919年、パリに生まれ、 1936年からエコール・デ・ボザール(フランス国立美術学校)で絵画を学び、 1943年には初個展を開いた逸材です。

パリの他に、シニャック以来画家が好んで住む南仏の港町サントロペにも アトリエを構え、海や港を明るく軽やかなタッチで多く描きました。 2016年没。

日本のフアンも多いようで、日本の美術館としては最後に紹介した ヤマザキマザック美術館も50点以上収蔵しています。

そのほかにも伊東深水や福田平八郎の日本画や、白樺派の雑誌「白樺」、 1905年に創刊された美術雑誌「みずゑ」を展示しているコーナーもありました。

これらの雑誌はガラスケース中にあり、手に取って見ることはできません。 看視員を省いている美術館としては当然でしょう。

私が訪れた時はビュッフェ、セザンヌ、シャガール、コロー、ドンゲン、デュフィ、 キスリング、マルケ、ピカソ、ユトリロ、ヴラマンク、藤田などの所蔵作品が 展示されていなかったのが残念でしたが、 美術館のHPからシャガール、コロー、ドンゲン、ヴラマンクの作品だけは 映像を得られました。

これだけの美術館が人知れず佇んでいるのですから、日本も懐が深くなりました。

(添付3:ルオー作「ソランジュ」、添付4:梅原龍三郎作「三津浜富士図」、添付5:林武作「薔薇図」、添付6:児玉幸雄作「コブランの広場」、添付7:ポール・アイズピリ作「尾道」、添付8:ピエール・クリスタン作「尾道風景」および 添付9:伊東深水作「キリストの洗礼」は著作権上の理由により割愛しました。
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