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美術館訪問記-43 マルロー美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:マルロー美術館正面

添付2:マルロー美術館内部

添付3:ラウル・デュフィ作
「ドビュッシーへの敬意」

ロレンツォ・ロットの天使の絵を観ていると、 天上の音楽が聞こえてくるような気になることがありますが、 音楽の聞こえてくる絵というと、ラウル・デュフィですね。

デュフィの父親は勤めの傍ら、才能ある音楽愛好家で、 教会の指揮者兼オルガン奏者。母はヴァイオリン奏者。 かくしてデュフィは根底に音楽の素養を持つ、画家に育ったのです。

デュフィは14歳でコーヒー豆の輸入会社で勤め始め、傍ら画学校に通い、 1年の兵役後、奨学金を得て、パリの官立美術学校に入ったのは23歳の時でした。

マティスの絵に感銘を受けた彼は、 フォーヴィズム(野獣派)の一員として活動しますが、 ほどなくセザンヌに感化され、フォーヴィズムからは離れ、 その後親しくなったブラックの影響で一時キュビズムも手懸けます。

このような遍歴を経て、彼独自の軽やかで明るく、透明感があり、薄塗りで、 軽快なメロディーが聞こえてくるような自在な画風に達っするのは43歳になる 1920年のことでした。

彼の絵を一番沢山観た所といえば、企画展は別にして、 フランス、ル・アーブルにある「マルロー美術館」です。 油彩画が30点ありました。

ル・アーブルはイギリス海峡に面し、美しい海岸線が続くリゾートですが、 この美術館はその海岸に面して建つ2階建てです。 作家であり、当時文相だった、アンドレ・マルローが1961年創設しました。

その後の相次ぐ寄贈により、今ではオルセーに次ぐ フランス第2の印象派作品の所蔵を誇るようになっています。 これもマルローの人徳でしょうか。

デュフィはル・アーブル生まれなのですが、 1953年に死亡したデュフィの遺産を引き継いだ未亡人が、 彼女の所有していたデュフィ作品全75点を1962年に国家に寄贈したのです。 その内30点がマルロー美術館に指定されました。

実はこれら寄贈デュフィ作品は、名目上はパリの ポンピドー・センター・国立近代美術館の所有になっており、 オンライン・データベースで調べると、全部で152点の油彩作品があります。

大半はマルロー美術館のようなフランス各地の地方美術館に寄託されており、 今迄何度か訪れたポンピドー・センターではほとんど見かけませんでした。

デュフィも堪能しましたが、一番驚いたのは ウジェーヌ・ブーダン作品が何と224点もあった事です。 これらも全てブーダンの死後、弟のルイス・ブーダンが寄贈したものなのです。 美術館の広い一つの壁一面にブーダンの油絵が 大小取り混ぜて224点かけられているのですから壮観です。

日本でデュフィに沢山出会える所というと、鎌倉大谷記念美術館だったでしょうか。 20点ありました。 鎌倉駅から徒歩10分とは思えない、閑静な山荘風の邸宅美術館だったのですが、 2009年12月から休館になってしまいました。 残念です。

注:

フォーヴィズム(野獣派):1905年パリのサロン・ドートンヌの展覧会に   展示された大胆な原色を多用した絵画を見て、批評家ルイ・ヴォークセルが、   「まるで野獣に取り囲まれた」ようだと評してこの名が付いた。   マティスを中心にアンドレ・ドラン、ヴラマンク、ルオー、マルケ、ドンゲン 等がメンバー。眼で見た色彩ではなく、心に感じた色彩を使用した。

美術館訪問記 No.44 はこちら

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