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美術館訪問記 - 423 国立肖像画美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:国立肖像画美術館外観

添付2:国立肖像画美術館入口

添付3:国立肖像画美術館内部

オーストラリア国立美術館に道路を隔てて隣接しているモダンな建物が 「国立肖像画美術館」。オーストラリアの公立美術館は昔ここを植民地にしていた イギリス同様、全て入場無料です。

自然光ができるだけ採り入れられるように設計された建物はエレガントで、 オーストラリア人作家たちの肖像画、肖像写真、肖像彫刻を展示しているのみで、 他国の芸術家の作品はありません。

450点 を超える常設展示品は、首相、政治家、州総督、ロイヤル・ファミリーの他、 アーティスト、ミュージシャン、政治活動家、医師、聖職者、先住民の長老、 一般人の肖像画や彫刻、自画像、前回触れたオーストラリアの有名な無法者、 ネッド・ケリーのデスマスクまで様々です。

ここにある肖像画は、油絵から現在のデジタル・メディア技術にいたるまで 様々な手法で描かれ、肖像画の技法の変遷を一望することができます。

オーストラリア国内の美術館で作品をよく見かけるアーサー・ボイド、 ジョージ・ランバート、シドニー・ノーラン、トム・ロバーツ、 グレース・コッシントン・スミスの自画像もあり、興味深く観ました。

アーサー・ボイドは1920年、メルボルン近郊の芸術一家の生まれで 国立美術館付属美術学校に学び、画家だった祖父アーサー・メリックから 教育を受け、第二次大戦中はメルボルンで地図作成者として働く一方で、 現代芸術協会に作品を発表し続けます。

シドニー・ノーランと似通った経歴で、1959年、ボイドは父の死を契機に家族を 連れてロンドンへ渡り、そこで開いた最初の展覧会によって国際的名声を得ます。

1975年には主な作品をオーストラリア国立美術館に寄贈し、1999年死去。

グレース・コッシントン・スミスは1892年シドニーで生まれ、20歳の時に イギリスに渡り素描を学び、ベルリンでヴァトーの絵画に魅かれ、 1914年シドニーに戻って絵画を学び、1915年発表した「靴下を編む女」は オーストラリアで最初のポスト印象主義作品とされます。

この絵はニュー・サウス・ウェールズ州立美術館に買い上げられました。

彼女はオーストラリア初のモダニズムの女流画家として成功して行きます。 大英帝国勲章やオーストラリア勲章を受章するなどの栄誉を得、1984年没。

余談ですが、キャンベラがオーストラリアの首都に決まったのは1908年。 オーストラリアのイギリスからの独立が1901年ですから、7年間もシドニーと メルボルンの2大都市でどちらを首都にするか争った末の妥協の産物。

両都市の間に位置するここを完全な計画都市として、国際的コンテストで選ばれた 都市設計に基づき造成された完全な人工都市なのです。 現在の人口約39万人は、シドニー、メルボルンの1/10以下で第8位。

(添付4:ネッド・ケリーのデスマスク、添付5:シドニー・ノーラン作「自画像」1988年、添付6:アーサー・ボイド作「自画像」1945-46年、添付7:アーサー・ボイド作「結婚式へ向かう花婿」南オーストラリア美術館蔵、添付8:グレース・コッシントン・スミス作「自画像」1948年、添付9:グレース・コッシントン・スミス作「靴下を編む女」ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館蔵、及び 添付10:ハワード・アークレー作「シンガーソングライター、ニック・ケイヴ」 は著作権上の理由により割愛しました。
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