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美術館訪問記-42 サンタゴスティーノ教会

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:カラヴァッジョ作
「ロレートの聖母」

添付2:カラヴァッジョ作
「聖マタイの召命」
ローマ、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会蔵

添付3:サンタゴスティーノ教会正面

添付4:サンタゴスティーノ教会内部

添付5:ラファエロ作
「預言者イザヤ」

添付6:アンドレア・サンソヴィーノ作
「聖母子と聖アンナ」

前回のサンタ・カーサ聖所記念堂のある、ロレートというと、 カラヴァッジョの描いた「ロレートの聖母」を思い起こす方もおられるでしょう。

ローマの「サンタゴスティーノ教会」にある名画です。

別名「巡礼の聖母」と呼ばれるこの絵は、巡礼の長旅で黒く汚れた裸足の足を 観る者の方へ突き出した夫婦が、光輪がなければ、 とても聖母子とはわからない庶民的な姿の親子に、跪いて祈る姿を描いています。

実際、数え切れないほどの巡礼者たちが、聖母マリアに奇跡を求め、 あるいは神のとりなしを求めて、ロレートへ向かったと言われています。 カラヴァッジョもロレートに立ち寄って それらの巡礼者たちを目にしたに違いないと考えられます。

毅然と立つ美しい聖母のモデルは、カラヴァッジョの恋人で、 娼婦をしていたレーナと言われていますが、 凛とした顔つきには慈悲が、肉感的な身体からは母性が漂っています。

手前の巡礼者達からは、裸足で聖なる家を訪ね、 やっと、手を合わして祈ることが出来る歓びと幸福な思いが感じられます。 聖母に抱かれた幼子は祝福のポーズを取っています。

カラヴァッジョは本名ミケランジェロ・メリージ。 1571年イタリア、ミラノの生まれで、近くのカラヴァッジョ村で育ったので、 こう呼ばれています。

両親を13歳までに亡くし、ティツィアーノの弟子だった画家の下で修業。 生来粗暴な所のあった彼は、警官を負傷させ、21歳で着の身着のままローマへ逃亡。 画家の助手をして身過ぎをするうちに、画業で頭角を現し、 1600年に描いた「聖マタイの召命」で大評判になります。

これは光と闇を劇的に使用し、徹底した写実主義と共に、 それまでの古典絵画を革新し、バロック時代を切り開くものでした。 その後、この斬新な絵画に共鳴し、同様な作風で追随する カラヴァジェスキ(カラヴァッジョ主義者)の画家達が輩出します。

一躍時の人となった彼でしたが、粗暴な振る舞いは修まらず、 1606年殺人を起こしてしまいます。 ローマを逃げ出し、ナポリ、マルタ島、シチリア島と渡り歩き、 1610年恩赦を受ける直前、ローマの近くで客死。 この間も絵は描き続け、各地に作品を残しています。

ところで曲線と円形と直線で幾何学的に構成されるファサードが特徴的な サンタゴスティーノ教会は、1483年に完成され、 初期ルネサンス教会の好例といわれます。

かまぼこ型の高い天井は深い青色をしていて、 ポツポツと白い点が夜空の星のように見える。 格子模様の間には雲に乗った神や聖人達が描かれています。

入ってすぐ、太い柱が立っており、4本の柱の上方には、 それぞれ1体ずつ聖人のフレスコ画があります。 入口左から三番目の柱上部に「預言者イザヤ」。ラファエロ作。 迫力が他の3枚とまるで違います。

この絵にはヴァチカン、システィーナ礼拝堂の ミケランジェロの影響が強く感じられるという説があります。 筋肉が盛り上がったイザヤの右腕や左足にそれが見られます。 だがミケランジェロとは色調が異なり、色使いは優しく、タッチも繊細。

そのフレスコ画の下部にはアンドレア・サンソヴィーノによる彫刻 「聖母子と聖アンナ」があります。

注:

聖マタイ:キリストの12使徒の一人。聖人。歴史上の人物。生死年不詳。ローマ帝国の徴税人であったが、イエスの召命に応えて弟子となったとされる。 「マタイによる福音書」の著者と考えられているが、異論もある。

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