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美術館訪問記 - 414 国立サン・マルティーノ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:国立サン・マルティーノ美術館入口、左側は教会

添付2:教会内部

添付3:教会天井

添付4:グイド・レーニ作
「キリストの誕生」

添付5:ランフランコ作
「磔刑」

添付6:ルカ・ジョルダーノ作
「ユディトの勝利」

添付7:リベーラ作
「ピエタ」

添付8:クチニエッロ作
「プレセピオ」

添付9:美術館中庭

添付10:美術館前展望台からの眺め

カポディモンテの丘はナポリ中心部の北にありますが、西にあるのがヴォメロの丘。 その丘の上に「国立サン・マルティーノ美術館」があります。1866年開館。

ケーブルカーのモンテサント線の終点で降りて少し歩いた場所にある サンテルモ城の下、旧ナポリ市街を望む絶好のポジションにあるのが、 サン・マルティーノ修道院。現在は全てが国立美術館として公開されています。

この修道院の創建は1325年ですが、16世紀の中ごろから17世紀にかけて、 ほぼ全面的に改装され、バロック様式になっています。

この時の改築には、当時のナポリの名立たる芸術家達が、技術総監督建築家 コジモ・ファンザーゴの下に結集しこの僧院を比類のない美しいものにしています。

ティケットを買って、中庭に出ると直ぐ左手にある教会から見学開始。

床や壁、柱は色大理石のモザイクで飾られ、鮮やかな天井画や祭壇画の数々。 まるで宮殿の一室のような、目を奪われる華やかさです。

主祭壇にはグイド・レーニの「キリストの誕生」、 その上のルネッタに描かれた壁画はランフランコの「磔刑」がありました。

ジョヴァンニ・ランフランコは1582年パルマの生まれで、 アゴスティーノ・カラッチの弟子となり、アゴスティーノの死後、ローマに出て アゴスティーノの弟のアンニーバレ・カラッチの助手として腕を上げました。

歴代の教皇に重宝されてローマで多くの仕事をこなし、1647年没しています。 彼の作品も世界各地の美術館でよく見かけます。

1633年末イエズス会によりナポリに招聘され、 10年余りの内に同地で最も重要な教会の数々に一連のフレスコ画を制作しました。

聖具室の奥は宝物殿となっていて、天井はルカ・ジョルダーノの最後の仕事と なった「ユディトの勝利」1704年、祭壇にはリベーラの「ピエタ」があります。

リベーラは何度も名前を出しましたが、まだ解説していませんでした。 彼はホセ・デ・リベーラとしてスペイン、バレンシア近郊に1591年生誕。 早くからイタリアに渡り、カラヴァッジョ派の作風に強い影響を受けます。

10代以降死ぬまでイタリアで過ごしており、イタリア名はジュゼッペ・リベーラ。 イタリア人は「ロ・スパニョレット」(小さなスペイン人)と呼びました。 イタリアの美術館ではよくこの仇名で表示されています。

1616年には当時スペイン領であったナポリに移住し、歴代のスペイン人副王による 庇護を受け、ナポリ派の始祖として活躍しました。

初期のカラヴァッジョ色の濃い、強烈な光彩による厳しい明暗法を主体とした 写実的描写から、安定した構図、明快な色彩、静謐な抒情性や高貴さを表現する 画風を作り上げ、ナポリだけでなく本国スペインにも多大な影響を与えています。

またナポリに大規模な工房を持ち、ルカ・ジョルダーノなど 17世紀後半を代表する画家らを弟子に抱えていました。1652年ナポリで没。 彼の作品は世界中の美術館や教会でよくみかけます。

教会から出て、最初の中庭から改めて正面の修道院、つまり美術館へ入ります。 今では使われなくなった修道院の部屋が美術館の展示室になっていて、 ナポリ絵画、彫刻、陶器、ガラス製品等が陳列されており、 特にイタリア屈指といわれるプレセピオ(キリスト降誕再現模型)は見ものです。

その中でも有名なのはプレセピオ職人、ミケーレ・クチニエッロの作品の数々で、 1879年に本人からこの美術館に寄贈されました。

修道院の中庭は列柱回廊で取り囲まれ、ブルネッレスキの流れを引く ルネサンス様式で美しい。回廊に沿って修道僧たちの宿舎がありました。

庭の片隅には石彫りのシャレコウベを2mおきに横柵の上に乗せた囲いがあり、 修道士達の墓となっていますが、このような形態の構造物は他では見たことが ありません。死から逃げず日常的に考えるよう宿舎の中庭をお墓にしたのだとか。

美術館を出て道路脇の展望台から見るナポリ市街と湾の眺望も素晴しい。 遠くに霞むのがポンペイの悲劇を生んだヴェスヴィオ火山。