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美術館訪問記 - 412 ガッレリア・デイタリア美術館、ナポリ

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ガッレリア・デイタリア美術館外観
写真:Creative Commons

添付2:ガッレリア・デイタリア美術館内部
写真:美術館HP

添付3:ガッレリア・デイタリア美術館階段部分

添付4:カラヴァッジョ作
「聖ウルスラの殉教」 写真:EPPH

添付5:フランチェスコ・ソリメーナ作
「天使に慰められるハガルとイシュマエル」写真:Creative Commons

添付6:フランチェスコ・デ・ムーラ作
「慈悲の寓意」写真:Creative Commons

添付7:ヴィンチェンツォ・ミリアーロ作
「ポジッリポの食堂」写真:C.C.

3番目の「ガッレリア・デイタリア美術館」はナポリにあります。2014年開館。

隣のブロックにあるのが「ウンベルト1世のガッレリア」。ミラノもそうでしたが ナポリでも都市の中心をなすマーケットのすぐ傍にある美術館。

世界で最も人通りの多い活気ある通りと言われるトレド通りに面しています。

美術館の納まったゼヴァッロス・スティリアーノ宮殿は4階建ての豪壮な建物で、 オスツーニ公爵だったジョヴァンニ・ゼヴァッロスにより1639年建立。

その後スティリアーノ王女のタイトルを1716年に手にしたコロンナ家の手に渡り、 最終的に1920年、イタリーアーナ商業銀行が入手。同銀行はイタリア最大手の インテーザ・サンパオロ銀行に吸収され現在に至っています。

内装はさすがに元宮殿を大銀行が使用していただけあって、豪華なもの。 最初に乗るエレベーターも内装はシックな木張りで長椅子付き。

展示室に入るとすぐカラヴァッジョの遺作「聖ウルスラの殉教」(1610年)だけが 展示された部屋がありました。

画面の半分以上を覆っているのは漆黒の闇であり、 この絵画が完成した2ヶ月後には客死するカラヴァッジョの殺人者として 逃亡に明け暮れた精神の闇を象徴するかのようです。

第389回で詳述したように、1万1千人の乙女達と巡礼の旅に出た聖ウルスラは、 ケルンでフン族の王アッティラの放った矢で胸を射抜かれ殉教したといいます。

この絵では付き従う乙女達の姿は一切なく、左手にアッティラ、右手にウルスラが 配され、カラヴァッジョ特有の射抜くような光が左上から右斜めに射しています。

その光線を浴びて不思議そうに射抜かれた胸を見詰めるウルスラの青白い顔と 真紅の衣、アッティラの横顔と両袖の赤い色、ウルスラの背後から覗きこむ 画家自身の顔、兵士の甲冑だけが闇の中に浮かんでいます。

まるで人生の深淵を覗き込んだ者が知る暗闇の世界から浮き出た人物像のようです。

この美術館ではカラヴァッジョを始め、ナポリで制作した事のある画家達の カラヴァッジョ以降近代までの作品が展示されていました。

当然ながらナポリ出身の画家が最も多い。第321回で紹介した フランチェスコ・ソリメーナはナポリから東へ30kmほどの町の生まれですが 主にナポリで活躍しました。

欧米各地の美術館でちょくちょく見かける画家ですが、 ここに展示されている「天使に慰められるハガルとイシュマエル」は中でも佳。

これは旧約聖書の中の話で、ユダヤ人とアラブ人の祖アブラハムは85歳になっても 子供が出来なかったので、当時の慣例に従い妻のサラは自分の女奴隷ハガルを 夫に差出し、ハガルは奇跡的にイシュマルを産みます。

ところが第176回で説明した通り、アブラハムは99歳でサラとの間にイサクを設け、 イシュマルがイサクをからかっているのを見たサラは、 ハガルとイシュマエルを追い出してしまうのです。

二人は荒野をさまよい、やがて持参した水も尽き、ハガルは子供を潅木の下に 寝かせると、子供が死ぬのが忍びなく、声を上げて泣くのでした。 このとき、天使がハガルに呼びかけ、井戸のある場所を教えてくれるのです。

イシュマルはアラブ人の祖先となり、イサクはユダヤ人の祖先となります。 この物語にアラブ人とユダヤ人の間のいさかいの源流を求める人もあります。

彼の一番弟子フランチェスコ・デ・ムーラの4作品もよかった。

近代画家の作品も多く展示されていましたが、名前を聞いたこともない人ばかり。

ヴィンチェンツォ・ミリアーロ(1858-1938)という画家の風景画が目に留まりました。

1877年パリでルーヴル美術館の作品を模写して過ごした以外、ナポリの日常風景を 主題として描き、トリノやバルセロナなど国内外で展覧会を催し、 ナポリを描く画家としての名声を確立したのだとか。

添付のポジッリポはナポリ市内のナポリ湾に臨む地域です。