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美術館訪問記 - 411 ラ・ロトンダ

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:入口門から見たラ・ロトンダ

添付2:ラ・ロトンダ外観

添付3:1570年時点のパッラーディオ作ラ・ロトンダ設計図

添付4:パンテオン、ローマ

添付5:ラ・ロトンダ内部

添付6:ラ・ロトンダの一部屋の天井

添付7:ラ・ロトンダのドームと天窓

添付8:ラ・ロトンダの塀と彫刻

添付9:庭から見たラ・ロトンダ

ヴィチェンツァ関連の締めくくりに、アンドレア・パッラーディオの 最高傑作の呼び声高い「ラ・ロトンダ」を採り上げましょう。

実はラ・ロトンダはヴァルマラーナ荘と地続きで、建物間の距離は500mほど。 1912年よりヴァルマラーナ一族の所有となっています。

最初にこのヴィッラ(別荘)をパッラーディオに注文したのは、入り口脇の標識に 名の見えるパオロ・アルメリコ。教皇ピオ4世、5世に仕えた書記官で、 教皇庁を引退する際、故郷のヴィチェンツァに住む為のもの。

1567年に着工しましたが、設計者パッラーディオは1580年に亡くなり、 施主であるパオロ・アルメリコも1589年に死亡。 建築はパッラーディオの後を受け継いだヴィンチェンツォ・スカモッツィが 新たな施主、カプラ兄弟、の下で完成させました。

このためこの別荘の正式名称はヴィッラ・アルメリコ・カプラといいます。

ヴィンチェンツォ・スカモッツィはパッラーディオの40年後にヴィチェンツァで 生まれた建築家で、パッラーディオと直接の師弟関係はありませんが、 オリンピコ劇場もそうだったように、パッラーディオ亡き後、 彼のプロジェクトをほぼ全て引き継いで完成させています。

スカモッツィはパッラーディオに並ぶ建築界の巨匠で、独自設計のヴィッラや パラッツォ(宮殿)も沢山残していますし、彼の著作「普遍的建築の理念」は ルネサンス期の建築理論の集大成としてヨーロッパ諸国に影響を与えました。

ラ・ロトンダは四方にファサードがある正方形の完全な対称形の建物で、 それぞれのファサードにポルチコ(柱列のあるポーチ)があります。

建物の四隅と各ポルチコの中心を通るように円を描くと、 建物のほぼ全てがその中に納まるようになっており、 ラ・ロトンダ(イタリア語で円形建物)という名称は中央の円形のホールと その上のドームに由来しています。

アルメリコ司教は聖職者ですから独身で、貴族の一般のヴィッラのように 広大な建物は必要なく、このラ・ロトンダがこぢんまりとしたものに なっているのは納得できます。

各部屋に陽射しが少しでも入るよう、建物の4つの面は東西南北の軸に 45度の角度を持っており、4つのポルチコの上にはペディメントがあり、 その上に古代の神々の像が配置されています。

ペディメントとは西洋建築における切妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた 三角形の部分で、日本建築の「破風(はふ)」に該当します。

ペディメントは6本のイオニア式円柱で支えられ、そのポルチコの両側に1つずつ 窓があり、主要な部屋は全て2階に設けられ、1階はサロンになっています。

        パッラーディオは設計の際、ローマにあるパンテオン(別名:ラ・ロトンダ)を 意識しており、この家のドームもパンテオン同様半球体に設計していましたが、 スカモッツィは建設上の問題からもより低いものに変え、 頂上部に丸い天窓をつけています。

内部は、当時の貴族趣味で、華麗に装飾されています。

パッラーディオの友人でもあった、ヴィンチェンツァ生まれの詩人で画家の ジョヴァンニ・バッティスタ・マガンツァ(1513年頃-1586年)の息子で画家の アレッサンドロ・マガンツァやアンセルモ・カネラ、フランス人画家の ルイス・ドリーニーなどがフレスコ画を担当しました。

ヴァルマラーナ荘同様、高台にあるため、ポルチコからは周囲の素晴らしい風景が 見渡せます。元々このヴィッラは周囲の風景と調和するよう設計されているのです。

ロマネスク、ゴシック、ルネサンスなど西洋建築には色々な様式がありますが、 唯一、パッラーディアン(パッラーディオ風)建築という、 個人の名前で呼ばれるスタイルを生み出したアンドレア・パッラーディオの 建築美を堪能させてくれるラ・ロトンダなのでした。