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美術館訪問記 - 409 モンテ・ベリコ聖母マリア聖堂

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:モンテ・ベリコ聖母マリア聖堂正面

添付2:モンテ・ベリコ聖母マリア聖堂西側

添付3:モンテ・ベリコ聖母マリア聖堂内部

添付4:モンテ・ベリコ聖母マリア聖堂天井
写真:Creative Commons

添付5:モンテ・ベリコ聖母マリア聖堂内部
写真:Creative Commons

添付6:バルトロメオ・モンターニャ作
「ピエタ」

添付7:ルカ・ジョルダーノ作
「キリストの復活」

添付8:パオロ・ヴェロネーゼ作
「聖グレゴリウスの晩餐」

添付9:聖堂前広場からの眺め

ヴィチェンツァの南にはモンテ・ベリコの丘があり、 「モンテ・ベリコ聖母マリア聖堂」が建っています。

この聖堂は、ヴィチェンツァの町にペストが蔓延していた1426年と1428年、 2度に渡って聖母マリアが出現し、ここに彼女を祀る聖堂を建てれば ペストを終焉させようと約束したという故事によります。

1480年頃それまでに造られていた礼拝堂を壊して、 ロレンツォ・ダ・ボローニャ設計の聖堂がゴシック様式で完成し、 バルトロメオ・モンターニャがヴォ―ルトにフレスコ画を描いています。

1562年、アンドレア・パッラーディオが中央部分を再建する設計を行いますが 棚上げされたため、1578年から79年にかけて、 聖堂の北側に24m四方の新聖堂を付け加える事で満足しました。

これが現在、正面から見える白いパッラーディオ様式の聖堂で、西側から見ると、 1860年に再建されたネオ・ゴシックの茶色の教会のファサードが 南側にピッタリと付いてまるで2つの教会が並立しているように見えます。

バロック様式のドームや彫刻、北側の階段の設置等様々な追加工事が行われて 現在に至っています。

聖堂内部にはバルトロメオ・モンターニャの「ピエタ」、 ルカ・ジョルダーノの「キリストの復活」、 古い食堂内にパオロ・ヴェロネーゼの大作カンヴァス画 「聖グレゴリウスの晩餐」等の絵画があります。

聖グレゴリウスは第64代教皇で、グレゴリウスの名は教皇によって何度も 襲名されたので、グレゴリウス1世と呼ばれ、540年頃生、604年没。

ローマ貴族の出身で、最初は法律を学び、572年から12年間ローマ執政官の要職に 就いています。その後修道院生活に入り、590年に教皇に選ばれます。

精力的に教会改革に乗り出したり、カンタベリーのアウグスティヌスを イングランド宣教に派遣したりなどして、 ローマ司教の域を出なかった教皇職の権威を高めています。

今に至るカトリックのミサの典礼形式や、聖職者が生涯独身であることを 決めたのは彼です。また、今日でも教会で歌われるグレゴリオ聖歌の名は、 彼に由来しており、伝承では彼自身多くの聖歌を作曲したとされています。

この聖人の逸話でおそらく最も重要な「聖グレゴリウスの晩餐」とは、 キリストの最後の晩餐にならって、12人の貧しい人を招いて 共に夕食を摂ることを習慣にしていたグレゴリウスでしたが、 ある晩、いつものように晩餐を催していると、その日招いた貧者のうちの一人が 実はキリストであることに気がつく、という話です。

中央右側の赤い法衣の人物が聖グレゴリウスで、 その左隣で巡礼者の格好をしているのがキリストです。

この聖堂の前には広い広場があり、 ヴィチェンツァの街並みを見渡す事が出来る最良の見晴らし所です。

添付写真中央右側にバジリカとサンタ・コローナ教会、 左側にヴィチェンツァ大聖堂が見えます。