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美術館訪問記 - 407 オリンピコ劇場

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:オリンピコ劇場(画面右手)

添付2:入口フレスコ画

添付3:オリンピコ劇場観客席

添付4:観客席後方上部

添付5:観客席舞台袖

添付6:オリンピコ劇場舞台

添付7:舞台中央部分

キエリカーティ宮殿の隣にはアンドレア・パッラーディオが1580年、 死亡した年に設計した最後の建築物「オリンピコ劇場」があります。

パッラーディオの死後、建築家ヴィンチェンツォ・スカモッツィに引き継がれ、 劇場は1585年に落成しました。

奇跡的に今に残るルネサンス期の最初の常設劇場です。

ちなみに現在残っている同様な劇場はここを含めて3つしかありませんが、 他のパルマとサッビオネータの劇場もこのオリンピコ劇場が手本となっています。

茶色の3階建ての年代を感じる建物には蔦が這い、緑のアクセントになっています。

壁際に並んだ白い彫刻群の前を通って入口を入ると、壁にモノクロームの フレスコ画が飾ってありました。その内の一つは劇場内の観客達と舞台を 描いたもので、観客には折から訪れていた天正遣欧少年使節の4人の日本人少年が 西洋風のマントを身に着けた姿で含まれていました。

日本人としてこの劇場に最初に足を踏み入れた天正遣欧少年使節たちは、 有馬・大友・大村らのキリシタン大名の名代として、 1582年日本からローマへ向かい、1590年帰国するまでの間、 イタリア各地を巡る途中、劇場が完成した1585年、ここに来ていたのです。

小さな扉を潜って劇場内に入ると、そこにはローマ時代に戻ったかのような光景が 待っていました。

400人が定員という12段の粗末な木製の階段兼観客席が半円形に設置され、 その上の壁にはいかにもパッラーディオらしい列柱が並び、 一部の柱間にローマ時代の服装をした人々の彫像が立っています。

その上には低い柵が付き、この最上段には彫像のみが並んでいます。 天井には雲の浮かんだ青空が描かれ、 室外にいるのかという錯覚を生むようになっています。

舞台は意外に狭く、上に行くほど間隔が狭くなる三段の白壁が舞台後方を 天井まで塞いでいます。この壁にもパッラーディオ好みの円柱が下の二段に並び、 円柱の間は壁龕となっており、そこにもローマ時代の服装をした人々の彫像が 立っています。

最上段には柱の代わりに小さな彫像が立ち、彫像の間には浮き彫りがある。 つまりローマ時代の町の門のようなものが舞台後方と両袖一杯を覆っています。

彫像や門、列柱はどれも石造りのように見えますがレンガと木材を使い、 漆喰と石膏加工したものだといいます。

舞台中央にはその門に開いた二段目中ほどまでのアーチ状の入口があり、 古代ローマの道と街がトロンプルイユの手法で遠近感強く立体的に続いています。

街の上に見える空の青が真に迫って明るく、本物の空のように目に痛い。 舞台袖と中央の入口との中間にはアーチのない一段目だけの高さの入口が 開いており、ここには路地が続いているかのように見えます。

これらの舞台装置はパッラーディオ亡き後、彼の後を引き継いだ ヴィチェンツォ・スカモッツィの作。

ローマ時代にタイムスリップしたような臨場感溢れる幻想的な空間でした。