美術館訪問記 -398 ポルディ・ペッツォーリ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ポルディ・ペッツォーリ美術館正面

添付2:ポルディ・ペッツォーリ美術館内部階段

添付3:ボッティチェッリ作
「死せるキリストへの哀悼」

添付4:ピエロ・デル・ポッライオーロ作
「女性の肖像」

添付5:アントニオ・デル・ポッライオーロ作
「女性の肖像」
ベルリン絵画館蔵

添付6:ピエロ・デッラ・フランチェスカ作
「聖ニコラ・ダ・トレンティーノ」

添付7:ジョヴァンニ・ベッリーニ作
「ピエタ」

添付8:ベルゴニョーネ作
「聖母子と二天使」

添付9:ベルナルディーノ・ルイーニ作
「聖女カタリナの神秘の結婚」

添付10:アイエツ作
「友人たちといる自画像」

ミラノにはブレラ美術館と比べると知名度は低いものの、展示品の質においては いい勝負の素晴しい美術館がもう一つあります。

ブレラ美術館から400m足らずの場所にある「ポルディ・ペッツォーリ美術館」。

ミラノの貴族で独身、美術収集家だったポルディ・ペッツォーリ(1822-1879)は 死に際して「私の住居とそれを彩る美術コレクションのすべては、永久に保存され、 一般に公開されるものとする」と遺書を残し、 受理したミラノ市は、邸宅と美術品を整備後、美術館として1881年開館しました。

第二次大戦中美術コレクションは疎開していて無事でしたが、建物は爆撃で全壊。 その後必死の再建で、1951年には再開の運びとなっています。

展示室となっている2階への階段を上がる時から、往時のままに再現され、 時間を封印されたような美の世界へ踏み込む期待が膨らんで来ます。

ここにはブレラ美術館にはないトスカーナ系の絵画、即ち、フィリッポ・リッピや ボッティチェッリ、ピエロ・デル・ポッライオーロ、パルマ・イル・ヴェッキオ、 ペルジーノ、ピントゥリッキオなどの傑作もあります。

特にポルディが死の1ヵ月前に購入し、最後の購入作品となった ボッティチェッリの名作「死せるキリストへの哀悼」は、 遺贈時には、まだ無造作に壁に立てかけられたままだったといいます。

気を失ったように後ろに倒れかかる聖母マリア。 嘆き悲しむ哀悼の主題を表わしたこの作品では、 マグダラのマリアは左下でキリストの足に頬を寄せ、 共に目を閉じて深い悲しみを湛え、聖母を支える福音書記者ヨハネ、 一方背後では、アリマタヤのヨセフがキリストの受難具である 十字架の釘と茨の冠を掲げ、苦悩に満ちた眼差しで天を見つめている。

縦長の画面に積み重なるように巧みに人物が組み合わされ、 色彩やポーズが繰り返されることにより、この凝縮された悲劇のドラマは 否応なしに高まりを見せ、観る者の心に迫りくるのです。

ピエロ・デル・ポッライオーロの「女性の肖像」も 一目見たら忘れられない心に残る肖像画です。

ポッライオーロとはイタリア語で鶏肉屋の意味で、父親の商売から来ています。

ピエロは1441年頃フィレンツェの生まれで 兄のアントニオ・デル・ポッライオーロとよく一緒に仕事をしています。

父親を手伝って鶏をさばいていたためでもないでしょうが、 二人は人体構造を正確に描くため画家として初めて人体解剖をしたと伝えられます。

兄のアントニオも素晴らしい肖像画を残しています。

どちらの肖像画もモデルは特定されていませんが、 1470年頃、フィレンツェの上流階級の女性を描いたものと考えられます。

二人共結婚前後の女性でしょう。というのもこの頃は奢侈禁止令があり、 女性が豪奢な衣服や宝石類を身に着けられるのは結婚前後の3年間だけと 決められていました。

前にも書きましたが、イタリアでは、モナ・リザ以前の肖像画は、 神や聖人を除く一般人の場合、全てプロファイルという完全な真横向きスタイルで、 観る者と視線を合わせないようになっていました。

共通にあるピエロ・デッラ・フランチェスカ、クリヴェッリ、コスメ・ツーラ、 ベッリーニ、マンテーニャ、ソドマ、ロット、ティントレット、ティエポロ、 カナレット、モレット、モローニ等の名品も多い。

特にミラノで活躍したヴィンチェント・フォッパ、ベルゴニョーネ、 ベルナルディーノ・ルイーニ、ジャンピエトリーノ等が勢揃いしているのも嬉しい。

ヴィンチェント・フォッパは第57回、ベルゴニョーネは第392回、 ベルナルディーノ・ルイーニは第163回、ジャンピエトリーノは第154回で 簡単に説明しているので、興味のある方はそちらをお読み下さい。

ポルディ・ペッツォーリと同時代を生きたアイエツの「友人たちといる自画像」が ポルディの絵画コレクションとしては唯一の当時の現代アートなのでした。

他にも考古学的発掘品や装飾品、時計、家具調度品、ヴェネツィアン・ガラス などに加え、ポルディが最初に収集の情熱を傾けた16-18世紀の武器展示室もあり、 彼の多様な趣味がうかがい知れるのです。