美術館訪問記 -391 サンテウストルジョ聖堂

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サンテウストルジョ聖堂

添付2:サンテウストルジョ聖堂の鐘楼頂部

添付3:サンテウストルジョ聖堂内部

添付4:ベルゴニョーネ作
「三幅祭壇画」

添付5:ポルティナーリ礼拝堂

添付6:ポルティナーリ礼拝堂クーポラ

添付7:ヴィチェンツォ・フォッパ作
「殉教者聖ペテロの生涯」

添付8:ジョヴァンニ・バルヅッチョ・ダ・ピサ作
「殉教者ペテロの石棺」

添付9:ジョヴァンニ・バルヅッチョ・ダ・ピサ作
「思慮分別」

添付10:ミシェル・コロンブ作
「思慮分別」
ナント、サン・ピエール大聖堂蔵

ケルン大聖堂の説明の中でミラノにある「サンテウストルジョ聖堂」を 引き合いに出しましたが、この聖堂は東方の三博士の遺骨を納めた ローマ時代の大きな石棺があることで有名なのです。

実はケルン大聖堂に安置されている東方の三博士の聖遺物は、 1162年、神聖ローマ帝国皇帝が、ミラノ侵攻の際、 サンテウストルジョ聖堂から略奪して来たものなのです。

その聖遺物の一部が返還されたのは742年後の1904年の事でした。

この東方の三博士の聖遺物(遺骨)は、ミラノの大司教だったエウストルジョが 344年コンスタンティノープルから持ち帰ったとされており、 サンテウストルジョ聖堂はこの聖遺物を祀るべく4世紀に創建され、 後に列聖され聖人となったエウストルジョの名を冠しているのです。

このため鐘塔の先端には見慣れた十字架ではなく、 三賢者を示す星が取り付けられています。これは非常に珍しい。

聖堂は赤レンガに三角形の見慣れたドメニコ派のファサード。 建物は12世紀にロマネスクに改築され、 現在のファサードは19世紀に入って造られたものです。

中に入ると、主祭壇にその石棺が、その前には天井から 13世紀のヴェネツィアの画家による十字架像が吊り下げられています。

入口の右側には礼拝堂があり、ベルゴニョーネの優雅な多翼祭壇画がありました。

左側奥に通路があるので入ると中は広い。右手奥の方へ行こうとすると 後ろから呼び止められました。入場料を払えということらしく、6ユーロを払うと 1枚の英文パンフレットをくれました。

それによると、後陣の後ろに付け加えられたポルティナーリ礼拝堂は、 フィレンツェの銀行家ピゲッロ・ポルティナーリが、 ミラノでメディチ家のために働いていた1462年に、 フィレンツェから連れてきた設計者を指示して建造開始させました。

こうして礼拝堂はミラノにフィレンツェ・ルネサンスの成果を伝える 最初の建造物となったのです。今ではルネサンスの至宝と言われています。

礼拝堂は、それぞれにクーポラを持つ2つの四角い部屋から構成されています。

クーポラは中心から青緑、橙、赤色に同心円に塗られ、その下部には円周に沿って フレスコ画が描かれています。奏楽し踊る天使達。 その上の心和む暖色系の同心円と相まって、天上の楽園を想わせます。

ヴォールトや壁にも「殉教者聖ペテロの生涯」のフレスコ画が描かれています。 これらは全てヴィチェンツォ・フォッパの手になるものです。

中央にはジョヴァンニ・バルヅッチョ・ダ・ピサ作の「殉教者ペテロの石棺」が 置かれています。これも大理石で精巧に作られた大作で、 石棺を支える彫像の一つには頭部の後ろに、もう一つ顔を持つ女性像がありました。

これは「思慮分別」を表す寓意像で、フランス、ナントのサン・ピエール大聖堂で 同様の寓意像を最初に見て不思議に思って調べたものでした。

尤もナントの「思慮分別」寓意像は前面女性、後面老人男性ですが、 こちらの彫像は前後とも若い女性です。