美術館訪問記-386 ハンブルク市立美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ハンブルク市立美術館本館、新館前から撮影

添付2:フリードリヒ作
「雲海の上の旅人」

添付3:ルンゲ作
「青い服の自画像」1805年

添付4:ルンゲ作
「朝(第1作)」1808年

添付5:ウィリアム・ダイス作
「ヤコブとラケルの出会い」

添付6:パリス・ボルドン作
「噴水の傍のバテシバ」

添付7:マビューズ作
「磔刑図」

添付8:フレデリック・レイトン作
「ブロンドの少女」

添付9:キルヒナー作
「白い牛」

添付10:ハンブルク市立美術館内部

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒがらみの締めくくりに 「ハンブルク市立美術館」を採り上げましょう。

フリードリヒは晩年になるにつれ、ドイツの近代化の進展とともに、 時代遅れて憂鬱な画風と見做されるようになり、貧困の果てに死亡します。

死後急速に忘れ去られていったのですが、その価値を再評価し、 いち早く収集に乗り出したのが、ハンブルク市立美術館でした。

フリードリヒの死後10年目の1850年創立の美術館の初代館長に34歳の若さで 抜擢されたリヒトヴァークは、ほとんどゼロから、それも限られた予算で美術館を 構築しなければならなかったのですが、埋もれた名画を掘り起こすことによって 質の高いコレクションを築くことを考えます。

彼が着目した一つが低評価のドイツ・ロマン派絵画の収集でした。 その甲斐あってドイツ・ロマン派の二大巨頭、フィリップ・オットー・ルンゲと フリードリヒの最高のコレクションを所蔵するようになったばかりでなく、 今や2万㎡の展示スペースを有するドイツ最大級の美術館にまでなっているのです。

第383回で触れたフリードリヒの代表作「氷海」や「雲海の上の旅人」も 他の13作品と共にここにあります。

なおフリードリヒは自分の作品にタイトルをつけなかったため、彼の作品名は 後世になって付加されたもので、統一されたものではありません。

ドイツ・ロマン派の二大巨頭の一人、ルンゲは今回初登場になります。

ルンゲはフリードリヒより3年後にフリードリヒの生まれたグライフスヴァルトの 15㎞程東にあるヴォルガストで生を受けています。 時期も場所も大差なくドイツ・ロマン派の巨人たちが誕生しているのは面白い。

ルンゲは家業の商人となりますが、画家になる夢を追い、 22歳でコペンハーゲンの美術学校、次いでドレスデンの美術学校で学びます。 1798年からドレスデンに永住していたフリードリヒとは友人となっています。

1804年結婚してハンブルクへ移り、1810年には現在も使われている 色相・明度・彩度の3要素を座標として、さまざまな色を三次元空間に配列した 色立体を理論化した「色彩球」を出版しています。

「色彩論」を出版したゲーテとも意見交換をしていたルンゲですが、 惜しくも肺結核で1810年、33歳で夭折してしまうのです。

彼の作風は美術学校で学んだ古代の模倣から離れ、みずからの心情をなによりも 重視するロマン主義的なもので、ほとんど人体を描かず、描いても後ろ向きの 表現が多いフリードリヒに比べ、肖像画も多く描いています。

この美術館には18点が展示されていましたが、彼の自画像と代表作とされる 「朝(第1作)」を添付しましょう。

彼は「一日の四つの時」を「朝」「昼」「夕」「夜」の四枚で構成し、 宇宙の生成過程を描くという構想で1805年に銅版画連作を出版し、 かなり成功したのですが、それらを油彩で完成させようとして描いた習作が 「朝(第1作)」です。これを大きくした第2作を制作中に死亡。

ルンゲは未完の第2作は切断することを希望し、いったんは切断されるのですが、 1927年に再構成されて、この美術館に展示されています。

この絵には朝焼けの中に浮かぶ曙の女神アウロラ、大地に横たわる無垢の赤子、 左右の天使たち、上空の百合の花などを中心に左右対称に寓意的な図像が配置され、 大自然を賛仰するルンゲのロマン主義的な心情を伝える名作となっています。

ルンゲはドイツではフリードリヒと並ぶ巨匠として評価されていますが、 実質7年余りの画家生活で、残された作品数も少ない上に、 まとまって鑑賞できるのがこの美術館しかなく、これまで日本にはほとんど 紹介されて来なかったため、日本では無名と言えるかもしれません。

この美術館にはロマン派だけでなく、ヨーロッパ中の名画がひしめいていますが、 その中で特に印象深かった数点を添付しましょう。

第184回で紹介したウィリアム・ダイスの「ヤコブとラケルの出会い」は 旧約聖書中の物語で、やがて二人は12人の子供を持ち、その子たちが イスラエルの12部族の祖になったとされます。

この美術館にはほぼ10年毎に3度訪れていますが、3度目の2016年5月の 訪館時には、それまでになく異常に混んでいて不思議に思ったところ、 4月まで改築のため閉鎖されていて、5月から再開したため、5月中は入館無料で これまで美術館に縁のなかったような人々も大勢訪れていたのでした。