美術館訪問記-385 旧国立美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:旧国立美術館

添付2:フリードリヒ作
「月を眺める男と女」

添付3:フリードリヒ作
「月を眺める二人の男」
ドレスデン、ノイエ・マイスター絵画館蔵

添付4:オーヴァーベック作
「聖セバスティアヌス」

添付5:ドラクロワ作
「座る裸婦(ローズ嬢)」

添付6:アドルフ・フォン・メンツェル作
「舞踏会の晩餐」

添付7:ベックリン作
「ヴァイオリンを弾く死に神のいる自画像」

添付8:アンゼルム・フォイエルバッハ作
「自画像」

添付9:旧国立美術館内部

添付10:ルノワール作
「ヴァルジュモンの子どもたちの午後」

前回参照した「旧国立美術館」はドイツ、ベルリンの博物館島内の ペルガモン博物館の隣に位置する美術館。

ベルリン国立博物館群を構成する美術館の一つで、 古典主義、ロマン主義、象徴主義、ビーダーマイヤー様式、印象派、初期現代作家、 年代で言えば18世紀半ばから20世紀初頭までの絵画、彫刻を所蔵しています。

19世紀の絵画、彫刻の収集数ではドイツでもトップクラス。

ビーダーマイヤー様式とは1850年に発刊された小説の主人公で架空の小学校教員 ビーダーマイヤーの名前に由来しており、19世紀前半のドイツやオーストリアで 中産階級に好まれた室内装飾による生活空間を描いた絵画や、 彼らの使用した工芸品、建築などを指します。

1876年開館の美術館はギリシャ神殿と見まがう造りで、威風堂々と聳えています。

名作揃いの中から印象に残った作品を画家の生年順に挙げてみましょう。

ドイツ・ロマン主義のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒは15点もあり、 中では「月を眺める男と女」に少し驚きました。

というのも、前日ドレスデンのノイエ・マイスター絵画館で同じ絵を観たばかり だったのです。しかしホテルに戻って調べてみると、ドレスデンのタイトルは 「月を眺める二人の男」。寸法はほぼ同じで制作年はドレスデンの方が4年早い。

見比べてみると、ベルリンの方が色使いやタッチも明るく、 連れの肩に手を置く人物が男から女になっているので、明らかに違うのですが、 構図はほとんど同じなので、記憶の中で比較するのは難しい。

どちらも記憶に残る名画です。

ナザレ派のフリードリヒ・オーヴァーベックの「聖セバスティアヌス」。 彼の作品は世界の美術館でも滅多にお目にかかれず、 油彩画を6点も所蔵しているこの美術館は世界最高の所蔵数でしょう。 ナザレ派については第92回を参照して下さい。

フランス、ロマン派の旗手ドラクロワの「座る裸婦(ローズ嬢)」。 16歳で孤児になったドラクロワは、翌年ゲランの画塾に入り、画家の道を志し、 先輩のジェリコーに感化されていくのです。

この22歳頃の作は、修業中は誰もが辿る裸婦の習作なのですが、ルーヴルに通って ルーベンスやレンブラントの模写を繰り返した成果が、真珠色の肌の描写や 的確なデッサンによく出ており、本人も自信をつけたのでしょう、 この絵を描き終えた後、自分は漸く画家になったと友人たちに話したといいます。

アドルフ・フォン・メンツェルの「舞踏会の晩餐」。 メンツェルはほぼ独学の画家で、24歳で3年間かけて制作した 400点もの「フリードリヒ大王の生涯」の挿絵版画が評判となり、 プロイセン宮廷を中心に仕事の依頼が増え、名声を確立します。

フリードリヒと並ぶ19世紀ドイツ最高の画家と謳われ、 画家として初めて黒鷲勲章を贈られ、貴族に叙せられています。

当美術館には最大数の57点もの所蔵品があり、彼の評価の高さが知られます。 展示作品にはこの絵のような上流階級の生活を描いたものよりも、 労働者たちの日常生活や風景画、動物画などが多くありました。

アーノルド・ベックリンの「ヴァイオリンを弾く死に神のいる自画像」。 ベックリンはスイス生まれですが、青年期以降はヨーロッパ各地を転々とし、 生涯の大部分をドイツおよびイタリアで過ごしている象徴主義の画家です。

作者は絵筆とパレットを手に、背後にいる骸骨で表された死に神が 最後に残った弦で奏でる旋律に耳を澄ませています。

この絵は画家のインスピレーションの瞬間を描いたものだそうですが、 これは死の図像の1つ、「死の舞踏」を思い起こさせます。 死の舞踏とはどんな人でも死の前では平等であるという考えを表した主題です。

14世紀末のペストの大流行でヨーロッパの人口の半分とも1/3ともいわれる 人たちが亡くなりました。ペストにかかれば、貴賤に関係なく死が襲い掛かります。 そこから「死の舞踏」というテーマが生まれたのです。

ベックリンも当然「死の舞踏」を意識して描いたに違いありません。

アンゼルム・フォイエルバッハの「自画像」。 フォイエルバッハはデュッセルドルフとミュンヘンの美術学校で学んだ後、 ベルギー、フランスを巡り、1854年からイタリア各地で20年程を過ごし、 ウィーンの美術学校の教授となりましたが、1880年ヴェネツィアで没しています。

イタリアのルネサンス絵画に学んだ生粋の古典主義の彼の作品は、 彫像のように優美な気高さと、古代ギリシャ芸術の簡素さを持ち合わせており、 この44歳時の自画像でも、その高貴とも言える風貌と画風を再認識させられます。

他にも多くのドイツ人画家たちやゴヤやコロー、クールベ、マネ、ドガ、セザンヌ、 モネ、ルノワール、ゴーギャン、ゴッホなどの外国人画家たちの 素晴らしいコレクションがあります。