美術館訪問記-381 トレチャコフ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:トレチャコフ美術館正面

添付2:トレチャコフ美術館内部

添付3:アンドレイ・ルブリョフ作
「至聖三者(三位一体)」

添付4:アレクサンダー・イワノフ作
「キリストの出現」

添付5:イワン・アイヴァゾフスキー作
「虹」

添付6:イワン・クラムスコイ作
「トルストイの肖像」

添付7:イリヤ・レーピン作
「イワン雷帝と皇子イワン」

添付8:ワシーリー・スリコフ作
「銃兵処刑の朝」

添付9:ヴァレンティン・セローフ作
「桃を持った少女」

添付10:イサーク・レヴィタン作
「黄金の秋」

添付11:ジナイーダ・セレブリャコワ作
「自画像」

もう一つの「忘れえぬ女」のある「トレチャコフ美術館」は モスクワ、クレムリン宮殿から南に1200m足らずの場所にあります。

モスクワの豪商パーヴェル・トレチヤコフの私邸のあった場所で、 トレチヤコフは美術館創設を目的にコレクションを進め、1892年にモスクワ市に 収集作品(油彩画1287点、素描518点、彫刻9点)と土地、自宅を寄贈。 翌1893年、「トレチャコフ兄弟モスクワ市営美術館」の名で開館しました。

現在では国立トレチャコフ美術館として、11世紀から20世紀初頭までの ロシア美術作品13万点以上を収める巨大美術館となっています。

トレチャコフの銅像が立つ本館正面前の広場を抜けて入館し、半地階のロビーで 入場料と撮影料を払って入り、3人並べば一杯になるぐらいの比較的狭い階段で 2階まで上がり、第1号室から第7号室までの18世紀絵画を観ました。

続いて第15号室までの19世紀前半の絵画、第31号室までの19世紀後半の絵画、 19世紀末から20世紀初頭の絵画は、第34号室までが2階に、 48号室までが1階にあります。

1階の第35号室から37号室は19世紀後半の絵画に充てられていますが、 第49号室から54号室まではグラフィックに、 第56号室から62室まではモザイクやイコン等の中世美術に充てられています。

膨大な展示品の中から、幾つか印象に残った作品を年代順に挙げてみましょう。 主要作品にはロシア語と英語で作者名とタイトルが表示されていました。

まずアンドレイ・ルブリョフ(1360頃-1430)の「至聖三者(三位一体)」。 彼はロシアでは最も広く知られた画家の一人で、修道士。フラ・アンジェリコの ような存在で、生存中から今日まで敬愛され続けている幸せなイコン画家です。

イコンとは「像」を意味するギリシャ語のeikonに由来しており、 聖像、特に、ギリシャ正教やロシア正教で発達した、キリストや聖母、聖人や 聖書中の出来事等を表した、礼拝のための画像や彫像のことです。

中世まではギリシャやロシアを含む東ヨーロッパでは、絵画と言えば イコンの事を指し、ロシアでは今日でもイコンは生き続けています。

イコン画家は自分の為にではなく神の栄光の為に描くと考えられており、 個性を出す事は考えられず、画家名は残っていないのが普通でした。

アレクサンダー・イワノフ(1806-58)の540 x 750cmの超大作「キリストの出現」。 彼は画家の息子で、生涯の大半をローマで過ごし、ナザレ派の影響を受けています。 この大作に20年間もかけたため、「生涯1作の巨匠」と呼ばれます。

イワン・アイヴァゾフスキー(1817-1900)の「虹」。 ウクライナ生まれのアルメニア人海洋画家。長寿で6000点もの作品を残し、 国際的にも人気が高い。そのためかロシアの全ての画家の中でも 最も贋作が多いと言われています。

イワン・クラムスコイ(1837-1887)の「トルストイの肖像」。 勿論ここにある彼の作品で最も印象深いのは「忘れえぬ女」ですが、 この肖像画にまつわる話も面白いので紹介しておきましょう。

クラムスコイは大の肖像画嫌いだったトルストイの肖像画を始めて描いた画家です。

クラムスコイの懇願にも応じないトルストイに、クラムスコイが言ったのは、 「あなたの死後、結局は誰かがあなたの肖像を描くでしょう。それがどんなものに なるか。あなたは肖像画が適切な時期に描かれなかった事を後悔するでしょう」 トルストイは承知しました。

イリヤ・レーピン(1844-1930)の「イワン雷帝と皇子イワン」。 レーピンは、大胆なリアリズムで社会の矛盾を描き、民衆の啓蒙のために各地で 展覧会を開いた移動派の中心的人物。この絵はロシア史上最悪の暴君と言われた イワン雷帝が誤って自分の息子のイワンを撲殺してしまった場面を描いています。

ワシーリー・スリコフ(1848-1916)の「銃兵処刑の朝」 218 x 379cm。 大作の歴史画を得意とし、ロシアでは最も有名な画家の一人。 「銃兵処刑の朝」はピョートル大帝の改革に反対した銃兵が 処刑される直前の様子を描いたもの。舞台は赤の広場。

ヴァレンティン・セローフ(1856-1911)の「桃を持った少女」。 両親は音楽家でしたが肖像画家となります。若さの詩的情緒をこれほどまでに 魅惑的な純粋さと技能で表現したロシアの芸術家は、それまでいませんでした。 イサーク・レヴィタン(1860-1900)の「黄金の秋」。 秋を描くことをこよなく愛した風景画家。彼は合計100点をこえる秋の風景画を 描きました。「黄金色の秋」は、それらの中でも最も人気の高い作品。

ジナイーダ・セレブリャコワ(1884-1967)の「自画像」。 ロシア初の女流画家の一人。父は彫刻家、叔父は画家。1924年からパリへ移住。