美術館訪問記-374 ムルナウ城美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ムルナウ城美術館

添付2:ムルナウ城美術館内部

添付3:カンディンスキー作
「グリースブレウから見たムルナウ」1908年

添付4:ミュンター作
「ザウンスチャッテン」1908年

添付5:ヤウレンスキー作
「ムルナウ付近の風景」1909年

添付6:マリアンネ・フォン・ヴェレフキン作
「ムルナウの夕暮れ」1910年

添付7:ミュンター作
「灰色の雲のかかった村」1939年

添付8:アレクサンダー・カーノルト作
「モデルたち」1909年

添付9:カーノルト作
「リンゴとコーヒーの器のある静物」1909年
カールスルーエ美術館蔵

添付10:アレクサンダー・カーノルト作
「静物」1925年
広島県立美術館蔵

ムルナウにはもう一つ訪れるべき美術館があります。 それは「ムルナウ城美術館」。三角形をした、のっぺらぼうのユニークな美術館。

ムルナウで最も古い建物で1233年に建造されたといいます。

この城はその後長い間エタール修道院管理者の住居として使われ、 1803年に修道院が世俗化された後は教育目的に使用されていましたが、 改修後1993年に美術館として開館しています。

5階建ての館内は各階が、ムルナウの風土と特産品紹介や、ガラス絵、19世紀絵画、 ミュンヘン新芸術家協会、青騎士などのテーマ毎に別れて展示されています。

この地に長期滞在したり居住したりした画家たちの作品が並んでいます。

4階はガブリエレ・ミュンターに捧げられ、1902年から彼女が亡くなる 1962年までの絵画、デッサン、版画など総数80点以上が展示されており、 世界一のコレクションを誇ります。

カンディンスキーの「グリースブレウから見たムルナウ」は風景画ながら 粗いタッチで色面を並べただけで、この頃ヤウレンスキーがパリで感化されて来た ゴーギャン風の試みが実験されていて面白い。

そのヤウレンスキーやパートナーだったヴェレフキンの作品もありました。

彼らと親しくミュンヘン新芸術家協会の設立当初から参加していた アレクサンダー・カーノルトの「モデルたち」が目に留まりました。

カーノルトは味のある静物画で好きな画家の一人なのですが、 日本では知る人はほとんどいないでしょう。

「モデルたち」ではヤウレンスキーやカンディンスキーと共に 自分の画風を確立すべく既存の手法を応用して試しているかのように感じました。

彼は1881年、ドイツ、フランクフルトの南100㎞程の場所にある工業都市 カールスルーエの画家の家に生まれ、カールスルーエ美術学校で学んだ後 当時のヨーロッパでは芸術の一つの中心地だったミュンヘンに出て活動します。

ミュンヘン新芸術家協会の創設メンバーとして事務局の書記を務め、 カンディンスキーの脱会後には、パウル・クレーやヤウレンスキーらとともに ミュンヘン新分離派設立者の一人として参画しています。

第一次世界大戦の勃発で兵役に就いた後、当時はドイツ領で 第二次世界大戦後ポーランド領になったヴロツワフの美術学校教授となり、 1933年からはベルリン芸術アカデミーの教授、次いで学長になります。

1936年病を得て職を辞し、1939年心臓麻痺で亡くなりました。

ナチスから退廃芸術の烙印を押された事もあり、死後忘れ去られていましたが、 20世紀後半から再評価されるようになって来ました。

カーノルトを始めて認識したのは、彼の生まれ故郷にある、 カールスルーエ美術館で彼の作品をまとめて観た時です。

この美術館は彼の油彩画を18点所蔵しており、おそらく世界最大でしょう。

特に「リンゴとコーヒーの器のある静物」は、対象物が光を放っているような 輝きがあり、色彩のバランスも絶妙で、思わず惹き込まれました。

これほどの絵を描いた画家を何故知らなかったのかと、 自分でも不思議な気がしましたが、その後ドイツ国内の美術館では 何度か再会することになり、ますます好きになって行きました。

カーノルトの作品は日本では広島県立美術館でしか目にしたことはありませんが、 この絵は彼の作品中では珍しく、超リアリズムというべき作品で、カーテンの裏に 何か潜んでいるような不気味さもありますが、静謐な詩情漂う名品です。