美術館訪問記-370 聖アフラ教会

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:聖アフラ教会外観

添付2:聖アフラ教会横の立て看板

添付3:聖アフラ教会内部

添付4:リーメンシュナイダー作
「嘆きの群像の祭壇」

添付5:ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作
「十字架降架」
プラド美術館蔵

ヴュルツブルク郊外のマイトブロン地区にある「聖アフラ教会」に リーメンシュナイダーの最後の作品といわれる「嘆きの群像の祭壇」があります。

ここに納められる経緯も正確な制作年代もわかっておらず、 最初に設置されていたマイトブロン修道院の支払記録などから1519年から 1522年にかけて制作されたと推測されています。

教会は古い造りの飾りのないファサードで、屋根の上に載った小さな塔に 金文字の時計が付いていました。入口左横に観光客用の看板が置かれています。 主文はドイツ語ですが、英語とイタリア語で簡単な説明文もありました。

無人の内部はシンプルな単廊式。入口から2階に上がれ、 そこから堂内が一望できます。正面祭壇に「嘆きの群像の祭壇」がありました。

10体の人物と2天使を3柱の十字架の前に配した、石像彫刻としては凝った造り。 砂岩で彫られているのにも拘わらず、きめ細かな肌合いで、 静かな深い嘆きが惻々と伝わってくるようです。

表現された人物は男女5人ずつ。 これまで「十字架降架」の図像は何例か紹介して来ましたが、 登場人物の詳細には触れてこなかったので、この際説明しておきましょう。

中央に横たえられたキリストと彼の左手を持っている聖母マリアについては 説明の要はないでしょう。

聖母マリアの背後で彼女を支えるかのように手を添えているのは福音者ヨハネ。

12使徒の中でも最も年が若く、イエスから特に「愛された弟子」と言われており、 十字架に付けられたイエスから、 「見なさい。あなたの母です」と聖母マリアを託された人物です。

このため「磔刑図」では聖母マリアと福音者ヨハネは 十字架にかけられたイエスの足元に配されています。

彼は12使徒の中では唯一人殉教せず、師の言いつけ通り聖母マリアの世話をし、 彼女の最後を看取り、「ヨハネの福音書」や「ヨハネの黙示録」を残したと されています。

キリストの頭部を支えているのはアリマタヤのヨセフ。

キリストの弟子たちすら逃げ出した状況の中で、ローマ総督ピラトの許可を得て、 イエスの体を十字架から取り外して清潔なシーツに包み、ニコデモの手を借りて、 まだ誰も使ったことのない自分の墓に安置したとされます。

右端上部に顔を覗かせているのがそのニコデモ。

彼はイエスに反対するパリサイ派で最高法院の議員でしたが、 イエスが神の使いと信じ、巡教中のイエスを夜密かに訪れて問答し、 イエスは彼に真の新生について教えたとされています。

イエスの死後は没薬と沈香を持参し、アリマタヤのヨセフと共に埋葬しています。

残った中央の帽子を被った男性はリーメンシュナイダーの自画像といわれます。 前々回で触れたティツィアーノの遺作「ピエタ」でも、ティツィアーノは自画像を 画中に残していますが、死が近づくと自己の証を残したくなるのでしょうか。

その左でイエスの遺体に塗るための香油の入った壷を持っているのは マグダラのマリア。

聖書ではイエスに七つの悪霊を追い出してもらったため、イエスの伝道に同行し、 イエスの死に立ち合い、復活した彼と最初に会った人間としか書かれていません。

この七つの悪霊という言葉に性的な放埓という事を含め、娼婦だったと解釈し、 悔悛した聖女として芸術作品に多く採り上げられて来ました。

一番左で左側を向いているのは聖母マリアの異父妹、クロパの妻マリア。

一番右で右側を向いているのは聖母マリアのもう一人の異父妹マリア・サロメ。

残った福音者ヨハネとニコデモの間にいる女性は、12使徒の母親の一人でしょうが、 リーメンシュナイダーの妻を彫り込んだとも解釈できます。

キリスト磔刑を描いたフランドル絵画の中でもっとも影響力があった 初期フランドル派の画家ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの「十字架降架」を 参考までに観てみましょう。

前面は左から福音者ヨハネ、聖母マリアとキリスト。 その後ろはクロパの妻マリア、緑の衣服を着用しているマリア・サロメ、 赤い衣服を着用したニコデモ、豪奢な衣装を着用しているアリマタヤのヨセフ、 印象的な姿形のマグダラのマリアが一番右にいます。 最後列にいる二人はアリマタヤのヨセフの召使でしょう。

この絵でもリーメンシュナイダーの彫刻でも、 ニコデモとアリマタヤのヨセフは逆ではないかという説もあります。