美術館訪問記-369 マインフランケン博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ヴュルツブルク、アルテ・マイン橋から見たマリエンブルク要塞

添付2:マインフランケン博物館入口

添付3:マインフランケン博物館内部

添付4:リーメンシュナイダー作
「イヴ」

添付5:リーメンシュナイダー作
「聖母子」

添付6:リーメンシュナイダー作
「悲しみのマリア」

添付7:ルーカス・クラナッハ作
「アダムとイヴ」

添付8:ドメニコ・ティエポロ作
「エジプトへの逃避」

添付9:ティエポロ作
「赤髭王フリードリヒ1世の結婚の寓意」

添付10:ティエポロ作
「赤髭王フリードリヒ1世の結婚の寓意」
レジデンツ蔵

ヴュルツブルクの産んだドイツ最高の彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーの 作品を世界でも最も多く所蔵するのが「マインフランケン博物館」。

ヴュルツブルクの街中を流れるマイン川沿いの丘の上に建つマリエンブルク要塞の 中にあり、1913年開館。

名の知れた芸術家の作品がまとめて観られる場所は世界でもそうはありませんが、 ここにはリーメンシュナイダー作品が工房との共作も含め62点もあるのです。

リーメンシュナイダーは1460年頃の生まれで1483年からヴュルツブルクに居住し、 1531年に没するまでヴュルツブルクで活躍した彫刻家です。

彼は親方として工房を構え、教会や市民からの注文による祭壇や墓碑彫刻を量産。 名人として評判になり市議会議員に選ばれ、1520年には市長職にも就いています。

1525年の農民戦争の際、司教からの慰撫を断り、元市長として農民側に ついたのですが、敗北。捉えられて財産の一部を没収されてしまいます。

この時拷問を受け利き腕を折られたという話がありますが、 これは19世紀になって作られた伝説で、事実無根のようです。 というのも1527年に彼がヴュルツブルクの隣町、 キッツィンゲンの教会にあった祭壇彫刻を修復したという記録が発見されています。

彼の作品には、彫刻にはあまり興味が湧かない私でも、一目で彼の作と判る 特徴があり、500年の時を超え、中世に生きた天才の想いを今に伝えてくるのです。

彼の初期の作品で最も重要なものは、1491-92年に作られたアダムとイヴの立像。 これらはヴュルツブルク市議会の注文で、彼は青黒いマイン砂岩を2年かけて刻み、 若い無垢なカップルとして完成させました。 深く満足した市議会は、報酬を契約より二割多く支払ったといわれています。

アダムもイヴも左腕がなく、よく見るとこの博物館へ運送の際足を切断して運び、 継ぎ直した跡がありますが、彼の若き情熱と自己実現の喜びが ほとばしっているような初々しさを感じさせてくれました。 

同じ砂岩の作ながら、晩年となる1520年に作られた「聖母子」はしっとりとした 情感を漂わせ、熟練の腕を感じさせるものになっていました。

リーメンシュナイダーの作品はほとんどが砂岩か木を彫り出したままの素朴な ものですが、1点だけ木彫に彩色した「悲しみのマリア」1505年作がありました。

この博物館には絵画部門もあり、ドイツ・ルネサンスの雄ルーカス・クラナッハの 「アダムとイヴ」がドイツ人画家としては唯一目に留まりました。

ドメニコ・ティエポロの「エジプトへの逃避」がありました。

この主題は新約聖書によるもので画題としてしばしば登場します。

イエス・キリスト降誕後、養父ヨセフが夢に天使の告知を受け, ヘロデ王の嬰児虐殺のたくらみを避けてマリアと共にエジプトに逃れ, 暫く留まったのちナザレに帰ったという記述が基になっています。

エジプトへの途中に親子3人で休息している図像が圧倒的に多いのですが、 この絵では天使の助けでまさに船出しようとしているところです。

バッティスタ・ティエポロの「赤髭王フリードリヒ1世の結婚の寓意」も ありました。1751年作で、同年彼がヴュルツブルク レジデンツの「皇帝の間」 に描いたフレスコ天井画の下図でした。