美術館訪問記-368 アカデミア美術館、ヴェネツィア

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ作
「アブラハムと三天使」

添付2:アカデミア美術館

添付3:ジョヴァンニ・ベッリーニ作
「聖会話」

添付4:ティツィアーノ作
「ピエタ」

添付5:ミケランジェロ作
「ロンダニーニのピエタ」
ミラノ、スフォルツァ城博物館蔵

添付6:ティントレット作
「奴隷を救う聖マルコ」

添付7:ヴェロネーゼ作
「レヴィ家の饗宴」

添付8:ジョルジョーネ作
「嵐」

添付9:コスメ・テューラ作
「聖母子」

添付10:アントネッロ・デ・サリバ作
「受胎告知」

前回触れたジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロは、 偉大なる父ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの絵画技術をわがものとし、 父と通じる軽快で優雅、鮮やかな色彩を駆使した作品を数多く残しています。

1727年、ヴェネツィアで生まれ、幼い頃から父の手ほどきを受け、 父の最も優れた助手として、ドイツのヴュルツブルクやイタリア各地、 スペインのマドリードなど父の仕事に必ず同行しています。

1770年父がマドリードで客死すると、ヴェネツィアに戻り、風俗画を 多く手掛けるようになり、父の路線とは離れて独自の画風を追求していくのです。

そのドメニコの絵で最も感動し、暫く釘付けになったのが「アブラハムと三天使」。

最初のユダヤの族長アブラハムがふらりと訪れた旅行者3人を歓待したことで、 実は天使だった彼らがアブラハムの年老いた妻に子供が授かると予言したとされる 旧約聖書「創世記」の話を描いたものです。

絵に活力があり、色彩が艶やかで、筆も伸びやか。 他の些か古めかしい絵画が多い中では、燦然と光り輝いていました。 ドメニコ・ティエポロの最高傑作と言えるでしょう。

この絵があるのはヴェネツィアにある「アカデミア美術館」。

ヴェネツィア美術アカデミーが管理していた諸作品を基に、1817年に開館した 美術館で、現在では14世紀から18世紀までのヴェネツィア派絵画500年の歴史を 振り返ることができる貴重な存在です。

木造の優美なアカデミア橋のたもとに建つこの美術館は、ヴェネツイアの中心を 貫いて悠々と流れるグランド・カナル(大運河)に臨んで佇み、 ヴェネツイア派絵画の世界最高のコレクションを誇ります。

なにせヴェネツイア派の確立者、ジョヴァンニ・ベッリーニの作品だけでも15点、 加えてカルパッチョ12点、ティツィアーノ5点、ティントレット20点、 ヴェロネーゼ15点、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ19点などが 居並ぶのですから壮観です。

いくつか採り上げてみますと、ベッリーニの「聖会話」が修復されたとみえて ひときわ色鮮やか。聖会話とは聖母子を中心に、いろいろな聖人たちが描かれた 絵のことで、特別な意味づけがされていないものの一般的呼称です。

ティツィアーノの「ピエタ」は晩年の画家が、自らの墓所と決めていた 聖フラーリ聖堂に飾られる祭壇画として描いたものですが、制作中の1576年急死。 弟子のパルマ・イル・ジョーヴァネが完成させたものです。

ピエタとはキリストとその死を嘆く聖母マリアの姿を表現したものですが、 この絵では悲嘆にくれるマグダラのマリアと、キリストの亡骸に縋る 聖ヒエロニムスを配しています。聖ヒエロニムスはティツィアーノの自画像。

色彩の錬金術師と称えられた彼が、ストイックなまでに抑えられた色彩と、 描きなぐるような粗いタッチで、荘厳な背景の下の慈愛に満ちた光景を 描出しているのを観て、88歳のミケランジェロが命の燃え尽きる3日前まで、 鑿を加えていた遺作「ロンダニーニのピエタ」を連想しました。

ティントレットの「奴隷を救う聖マルコ」は誇張された短縮法を用いて描かれた 聖マルコの姿が衝撃的で、これだけ劇的な描写も珍しい。

場面は、敬虔なキリスト教徒の奴隷が、その主人から死刑を宣告され、 あわやという時に聖マルコが宙より飛来して救出するところ。

蝋人形にスポットライトを当てて明暗効果と構図を実験したという画家の努力が 30歳にしてティントレットに一流画家としての評判と地位をもたらしました。

ヴェロネーゼの「レヴィ家の饗宴」は555 x 1280cmという超大作。 彼が描いた多くの宴会光景の作品群の中でも最高傑作とされている作品です。

この絵は元々「最後の晩餐」として依頼されたのですが、聖なる場面を、 贅沢な衣装を着たヴェネツィアの貴族階級の祝宴のように描いた上に、 道化師や酔っぱらい、小人などの極めて世俗的な人々を描き込んだことで 問題になり、異端宗教審問会に召還されます。

この審問自体は懲罰ではなく警告を主としたもので、3カ月以内に作品を 描き直すように命じられましたが、ヴェロネーゼは単に作品の題名を「最後の晩餐」 から「レヴィ家の饗宴」に変更するだけで、切り抜けたのでした。

名画が数多い中でも有名なのが、ジョヴァンニ・ベッリーニの一番弟子だった ジョルジョーネ最大の代表作にして、西洋絵画史上最も謎に満ちた作品の一つ「嵐」。

西洋美術史上最初の風景画ともいわれている本作は「嵐」と呼ばれていますが、 題名はヴェネツィアの貴族ガブリエーレ・ヴェンドラミン邸で発見時に 記録されていた「嵐とジプシー女と兵士を描いた風景」から由来しています。

謎というのは、豊かな自然描写とみずみずしい人物表現がみごとに調和した この美しい絵が、一体何を主題としているのか今もってわからないのです。

古代神話説(パリスと羊飼いの妻、ユピテルとイオなど)、 旧約聖書説(モーゼの発見、アダムとイヴなど)、聖人説(聖テオドロス)、 文学説(ポリフィロの夢)、寓意画説(慈愛)など30以上の説があるものの、 どれも確証を得るには至っていないのです。

X線透視の結果、当初は左側男性の足元に水浴する二人の女性が描かれていた ことが判明し、本作の解釈をより難解にさせることとなっています。

ヴェネツイア派絵画ばかりではなく他の流派の観るべき作品も多いのですが、 フェッラーラ派のコスメ・テューラの「聖母子」も、彼の作品にお目にかかる 機会が少ないだけに希少です。

この絵には背景に黄道十二宮の4つ、乙女座、射手座、水瓶座、魚座の記号が 描かれており、「黄道十二宮の聖母」とも呼ばれます。

第38回で詳述したアントネッロ・ダ・メッシーナの傑作「受胎告知」が ここにもあり、彼は同じ絵を二つ描いたのかと少し驚いたのですが、 作者は彼の甥アントネッロ・デ・サリバで伯父の絵をコピーしたものなのでした。