美術館訪問記-367 マルティン・フォン・ワーグナー博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:マルティン・フォン・ワーグナー博物館入口

添付2:ティエポロ作
「ポルセンナの前のムキウス・スカエウォラ」

添付3:ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ作
「オリーブ山の祈り」

添付4:アンドレア・デッラ・ロッビア工房作
「幼子キリストへの祈り」

添付5:ハンス・ショイフェライン作
「シクストゥス・エールハーフェンの肖像」

添付6:リーメンシュナイダー作「 死せるキリスト」

ヴュルツブルク レジデンツの右翼南は、かつては第2司教の住居だったのですが、 1963年以来「マルティン・フォン・ワーグナー博物館」が入居しています。 

ここはヴュルツブルク大学の所有で、1857年に画家で彫刻家、ルートヴィヒ1世の 芸術コンサルタントでもあったマルティン・フォン・ワーグナーが彼の収集した 美術品を1857年、大学に多額な現金と共に寄贈したものが基になっています。 大学博物館としてはヨーロッパ最大なのだとか。

博物館は考古学的発掘品部門とグラフィック部門、絵画・彫刻部門とに分かれ、それぞれ展示場所や開館・閉館時間も異なります。

2階にある絵画・彫刻部門に入るとティエポロ親子の作品が目に留まりました。

ティエポロ作の「ポルセンナの前のムキウス・スカエウォラ」は彼らしい 軽快で優美な筆触と透明感に溢れる明瞭な色彩が心地よい。

内容は古代ローマの伝説で、エトルリア王ポルセンナの率いる大群に囲まれた ローマを救うべく、ローマ市民ガイウス・ムキウスは闇夜に隠れて 城外のポルセンナを暗殺しようと企む。 しかしポルセンナの顔を知らないムキウスは別の人物を殺害してしまい失敗。

怒ったポルセンナはムキウスの身体を火であぶって拷問しようとする。 ムキウスは自ら右手を火の中に突き込み、 痛みの表情を出さすに炎が右手を焦がすままに耐えた。

この勇気を目にしてポルセンナは彼を解放し、ローマ人の勇猛さを知った ポルセンナはローマと和議を結んだ。焼けただれた右手が使えなくなったため、 ムキウスはスカエウォラ(「左手の」という意)と呼ばれるようになったという。

「オリーブ山の祈り」と題された息子のドメニコ・ティエポロの絵もありました。

オリーブ山の祈りとは、キリストがオリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園で、 十字架刑に処せられる前夜祈った事をさします。ゲツセマネの祈りとも言います。

死が翌日に来る事を知っているキリストは、ペテロたち3人の弟子を伴い、 ゲツセマネに行き、十字架での死を「杯」と呼んで、できれば回避したいと 祈りながら、神の御旨を求めるのです。

弟子たちには目を覚ましているように言うのですが、皆眠ってしまいます。

三度祈った後にイエスは決心して、自ら逮捕されるために進んで行くのです。

キリストが人間としての弱さを垣間見せる場面ですが、新約聖書の4福音書には 全てこのオリーブ山の祈りは記述されています。

この絵では受難を象徴する杯を持った天使に身を預けるように苦悩するキリストを 中央に置き、背後に眠るペテロたち。その後ろには裏切り者のユダに先導され、 キリスト逮捕に来た群衆の姿が描写されています

第135回のアレッツォ大聖堂で詳述したアンドレア・デッラ・ロッビア工房作の 彩釉テラコッタ「幼子キリストへの祈り」もありました。

マルティン・フォン・ワーグナーは長期間ローマに滞在していた間に イタリア人芸術家たちの作品を収集したようで、他にもヴェロネーゼ工房作品や パリス・ボルドン、ガロファロ、ルカ・ジョルダーノ、グアルディなどの 作品がありました。

名の知れたドイツ人画家の絵はほとんどなかったのですが、 デューラーの助手をしていたことのあるハンス・ショイフェラインの いかにもドイツ人らしい肖像画が異彩を放っていました。

ヴュルツブルクの産んだドイツ最高の彫刻家 ティルマン・リーメンシュナイダーの木彫も1点ありました。