美術館訪問記-365 ホーフ教会

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ホーフ教会内部

添付2:ホーフ教会天井

添付3:ティエポロ作
「聖母被昇天」

添付4:ティエポロ作
「堕天使追放」

添付5:アントニオ・ジュセッペ・ボスィ作
「マグダラのマリアと二人の天使」

前回のヴュルツブルク レジデンツを読みながら、 足場の悪い吹き抜けの大天井を僅か16カ月間で描き上げたティエポロなのに、 天井と壁に描くとはいえ、足場がよく、比較的狭い部屋の「皇帝の間」に 19カ月もかかったのかと疑問に思われた方もおられるでしょう。

実は彼は「皇帝の間」は1年足らずで仕上げ、レジデンツの南西角に バルタザール・ノイマンの設計で建てられた宮廷教会「ホーフ教会」に飾る 700 x 250cmの大祭壇画2点を1751年から52年にかけて制作したのです。

この教会はレジデンツの1年前、1743年に完成しています。 内装を設計したのは、当時ドイツ最高の建築家と謳われ、ウィーンの ベルヴェデーレ宮殿を手掛けたヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント。

数々の豪華建築を築いて来たヒルデブラントらしく、バロック様式の粋を集めた 美しさには目を見張るものがあります。

茶系統色でまだら模様の大理石に金細工を施した柱が林立し、 手の込んだ白いねじり柱に囲まれた脇祭壇や、主祭壇上にある司教領主の日々の ミサのための小祭壇など、いかにも宮廷付属教会らしい贅を尽くした造りです。

高い天井は、壮麗な輝きを放つ金細工が散りばめられた白い帯で 楕円形を組み合わせた形状に仕切られ、 宮廷画家ルドルフ・ビュース作のフレスコ画が全面を埋め尽くしています。

主祭壇に向かって右側の華麗な脇祭壇を飾るのがティエポロ作の「聖母被昇天」。

イエス・キリストの昇天に関するキリスト教の教義では、キリストのみが 復活後の栄光の体をもって天に昇ったこととされており、一般の人々は 死後冥府に下ることとされています。

キリストの昇天後、聖母マリアについてマタイやマルコ、ルカ、ヨハネらの 福音書には一切記述がありません。

聖母もキリスト同様、死後昇天したというのは外典や黄金伝説に記されています。

外典とはユダヤ教・キリスト教関係の文書の中で、聖書の正典に加えられなかった 文書の事で、黄金伝説とは中世イタリアの年代記作者でジェノヴァの第8代大司教、 ヤコブス・デ・ウォラギネが書いたキリスト教の聖者・殉教者たちの列伝です。 1267年頃完成し、中世ヨーロッパにおいて聖書についで広く読まれ、 文化・芸術に与えた影響は計り知れません。

それらによると聖母マリアは死後、霊魂のみならず肉体も天に上げられたとされ、 神やイエスの導きにより天使たちの力で昇天したといいます。 そのためキリストと違い「被昇天」と記述されます。

聖母被昇天がキリスト教の教義となったのは比較的最近のことで、 1950年、当時のローマ教皇ピオ12世が、「無原罪の神の母、終生処女である マリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光にあげられた ことは、神によって啓示された真理であると宣言し、布告し、定義する」と 宣言したことによります。

聖母マリアもキリスト同様、一度葬られた後、昇天したとされるので、 この絵でも、信徒たちが棺の周りで驚嘆したり、祈ったりしている上を 天使たちに支えられながら昇天していく様子が描かれています。

聖母マリアに関する主題として、「聖母被昇天」もこれまで触れて来た 「受胎告知」や「無原罪の御宿り」同様、数多くの絵画に描かれて来ています。

それらの大部分では、聖母マリアの衣服は伝統的な朱色と紺色になっていますが、 ティエポロは葬られた時のままの白装束としています。

主祭壇に向かって左側の脇祭壇にはティエポロ作の「堕天使追放」があります。

堕天使とは天使の身でありながら、様々な理由(傲慢、嫉妬など)から神へ反逆し、 天上界を追放(=堕天)される事となった天使達のことで、 キリスト教では堕天した天使が悪魔に成ったとされます。

大天使ミカエルが赤いマントを翻し、天使とは思えぬ異形の姿をした者も混じる 堕天使達を天上界から追い落とす光景が印象的に描かれています。

主祭壇背後には、1735年にイタリアから招かれ、1764年この地で没するまで ヴュルツブルクの数多くの教会に作品を残し続けた アントニオ・ジュセッペ・ボスィ作の「マグダラのマリアと二人の天使」の 漆喰像がありました。