美術館訪問記-363 王宮

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:王宮

添付2:王宮テラスからの眺め

添付3:王宮入口階段

添付4:ティエポロ作「アイネイアスの称揚」

添付5:ティエポロ作
「スペイン君主制の神格化」

添付6:ゴヤ作
「狩猟服姿のカルロス4世」

添付7:ゴヤ作
「宮廷服のマリア・ルイサ・デ・パルマ女王」

添付8:ガスパリーニの間

添付9:カラヴァッジョ作
「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」

セラルボ美術館の南300m足らずの場所に「王宮」があります。

スペイン王の王宮ですが現在はスペイン政府の所有物で、 国王はマドリード郊外のより小さなサルスエラ宮殿に居住しており、 王宮は国の行事で使用されるとき以外、一般客に公開されています。

ここは昔モーロ人の城塞があった処で11世紀末キリスト教徒に町が奪回されると カスティーリャ王国の宮廷が置かれ、1561年マドリッドに都が移されてからは ハプスブルク王家の居城となりましたが、1734年の火災で焼失してしまいます。

フランスのヴェルサイユ宮殿で育ったブルボン朝の初代国王フェリペ5世は、 イタリア・フランス風の王宮建設を命じ、現在のネオ・クラシック調の建物が 完成したのはカルロス3世が居城とした1764年のことで、 以後1931年までここが歴代スペイン国王の住まいでした。

150m四方の建物は135,000㎡もの広さがあり、 ヨーロッパ最大の王宮で部屋数は3418部屋もあるとか。

入口を通って広い中庭を横切らないと宮殿には辿り着けません。 宮殿に向かって左手は低地になっており、王宮庭園と公園が広がり 首都の中心とは思えぬ緑で一面が覆われています。

内部に入ると階段を上がって2階から見学コースが始まります。 音声ガイドを聞きながら、1部屋1部屋移動して行きます。 ここも悪しき撮影禁止。従って添付写真はWebからの借用です。

入って直の「近衛兵の間」にティエポロの素晴しい天井画がありました。

「アイネイアスの称揚」です。美の女神ヴィーナスとトロイ王家の人間との間に 生まれた半神半人のアイネイアスはヴィーナスの夫、火の神ウルカヌスが こしらえてくれた武器を受け取りに母であるヴィーナスの許へ上昇しています。

画面中央左寄りにアイネイアス、上部にヴィーナス、最下段に武具を鍛造中の ウルカヌスを配した、うねるような曲線的な大胆な構図と配色の 約23m x 16mもある大画面。

アイネイアスはトロイ滅亡後イタリアに逃れ、後にローマ建国の祖になったと されます。イタリアに向かう途中、西方の伝説の国スペリア(後のスペイン)に 立ち寄ったとされることから、スペイン王家の正当性を援護する絵となっています。

ティエポロはカルロス3世の招きで1762年から1766年にかけてこの王宮の 3天井画を制作しています。

続いて彫像が多い部屋を抜けると、次の細長い「王座の間」は赤色調でまとめられ、 天井画はまたもティエポロの作品。 こちらはそのものズバリの「スペインの栄光」。 もう1作は「王女控えの間」に「スペイン君主制の神格化」。

ティエポロは帯同した二人の息子で画家のドメニコ・ティエポロと ロレンツォ・ティエポロと共にマドリードに残り、 数多くの個人的注文をこなしていましたが1770年客死。享年74.

それにしてもティエポロは、イタリアのウーディネ、ヴィチェンツァ等の他、 ドイツのヴュルツブルクと方々に出かけてフレスコ画を描いています。 鉄道も車もない彼の生きた18世紀の旅は容易なものではなかったでしょう。

ヴェネツィアからマドリードまでティエポロは2か月と5日要しています。 彼は人生のいかほどを旅の空の下に過したのでしょうか。

次の部屋にはルカ・ジョルダーノの絵画、その次のカルロス3世の控えの間には、 両端の壁にゴヤの描いた国王夫妻等身大の絵が、正装と狩猟服でそれぞれ1点ずつ、 計4作ありました。

ここまでは目を惹く絵画で楽しめましたたが、後がいけません。

フランス風ロココ・スタイルの「ガスパリーニの間」、 陶器の装飾を惜しげなく取り入れた「陶器の間」、 ライトブルーのシルクを基調にした「カルロス3世の間」、 晩餐会が開かれる大広間等部屋数は多く、絵画もそこそこ数はありましたが、 どれも興味の対象になるようなものはありません。

唯一、17番目のストラディバリウスの間には、その名のとおり、 ストラディバリウス製作の楽器5種類が展示されており、 今でも時々演奏に使われているといいます。

1時間ほどで出口に着いてしまいました。期待していたカラヴァッジョ作品が 見られなかったので、案内係にそのことを尋ねると、 今は公開していないと言うだけでした。