美術館訪問記-362 セラルボ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:セラルボ美術館

添付2:セラルボ美術館内部

添付3:セラルボ美術館主階段

添付4:セラルボ美術館サロン

添付5:セラルボ美術館展示の日本の鎧

添付6:エル・グレコ作
「栄光の聖フランチェスコ」

添付7:スルバラン作
「無原罪の御宿り」

添付8:アロンソ・カーノ作
「ピエタ」

添付9:アロンソ・カーノ作
「福音書記者聖ヨハネのエルサレムの幻影」
ロンドン、ウォーレス・コレクション蔵

添付10:アロンソ・カーノ作
「聖母マリア」
グラナダ大聖堂蔵

マドリード市内西部にあるスペイン広場に隣接して「セラルボ美術館」があります。

第17代セラルボ侯爵が自宅をコレクションもろとも1922年、国に遺贈したもの。 美術館として改造後、1944年開館。

2階建ての大邸宅で、至る所に鏡が置かれ、各部屋には趣向を凝らした シャンデリアが下がり、数々の美術工芸品で飾り立てられています。

マドリード屈指の美しい主階段や息を飲む華麗なサロンもあり、 19世紀末から20世紀初へかけての貴族一家の暮らしへ観覧者をいざないます。

2階のベンテューラ・ロドリゲス通り側の通路と部屋は武具で埋め尽くされており、 日本の武士の鎧も4体ありました。 これまで紹介した英仏伊独瑞米の各国の邸宅美術館で同様の武具コレクションを 見かけましたが、19世紀末に富豪間で流行した趣味だったのでしょう。

コレクションは他にも絵画、デッサン、版画、彫刻、陶芸品、ガラス製品、 タペストリー、家具、硬貨、メダル、時計、考古学な品など、 5万点以上に及ぶということです。

絵画も夥しい数が展示されていますが佳品は少ない。

それでもエル・グレコやスルバラン、リベーラ、アロンソ・カーノ、 ティントレット、ヴァン・ダイク等がありました。

アロンソ・カーノは日本ではほとんど知られていませんが、 巨匠ディエゴ・ベラスケス、スルバランらと共に一つの時代を築いた 優れた画家兼彫刻家兼建築家で彼の作品は世界中の美術館で散見します。

アロンソ・カーノは1601年、スペイン、グラナダの建築家兼彫刻家 ミゲル・カーノの下に生まれます。幼い頃から父と絵の教師をしていた母に習い、 早熟した才能で両親を驚かせたといいます。

一家は1614年セビーリャへ移住し、アロンソは建築を父に、 彫刻をマルティネス・モンタニェースに、絵画をフランシスコ・パチェーコに師事。

フランシスコ・パチェーコの下で修業していた2歳年上のベラスケスとは 生涯を通じた友人となります。

セビーリャで確固たる地位を確立した後、1638年、招かれてマドリードへ出、 宰相オリバレス公爵付の画家となり、皇太子の絵画教師も務めます。

アロンソは初めて王室の豊かなコレクションに触れ、 ヴェネツィア絵画の明瞭な色彩、フランドル絵画の写実的精密描写、 ベラスケスの洗練された空間構成を取り入れ、独自の様式を確立します。

ただ彼が不在中に自宅が強盗にあい、妻が惨殺されてしまった事件で 逆に殺害の容疑をかけられた事に嫌気がさし、1652年、国王フェリペ4世から グラナダ大聖堂参事の資格を与えられたこともあり、故郷グラナダに戻り、 1667年亡くなるまで絵画や彫刻を教える傍ら制作もして過ごしています。

またグラナダではアンヘル修道院、王立病院、マダレーナス教会を建築し 大聖堂のファサードの設計をしていますが、これらはスペイン建築の中では 最も個性と独創性が発揮されたものだと言われます。

彫刻、絵画、建築に目覚ましい才能を発揮したアロンソ・カーノは スペインのミケランジェロとも言えるでしょう。