美術館訪問記-361 ドラムランリグ城

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ドラムランリグ城

添付2:ドラムランリグ城庭園

添付3:ドラムランリグ城内部

添付4:レンブラント作
「読書する老婦人」

添付5:マビューズ作
「聖母子」

添付6:ピーター・レリー作
「ダイアナ」

添付7:フェルメール作
「天文学者」
 ルーヴル美術館蔵

添付8:ピーター・レリー作
「川から救われるモーゼ 」
フランス、レンヌ美術館蔵

レオナルド・ダ・ヴィンチの「バクルーの聖母」が元々展示されていた 「ドラムランリグ城」はスコットランド最古のルネサンス様式の城で、 この地方独特のピンク色の砂岩で創られています。

この城があるのはスコットランドとイングランドの境界近い山里で、 よくこんな辺鄙で何もないような場所にこれだけ立派な城が築かれたものだと 感嘆する、1679年から10年かけて建設された、美しい居城です。

城の背後に広がる40エーカー(約5万坪)の庭園も綺麗に手入れされていて素晴しい。

この城はバクルー・クインズベリー公爵家が所有する3城の一つで 部屋数は120。現在も使用中ですが、うち12部屋が美術館として開放されています。

バクルー公爵の爵位は1663年、イングランド王兼スコットランド王だった チャールズ2世が自分の庶子のジェームズ・スコットにスコットランド貴族として 与えたもので、後にスコットランド貴族の第4代クイーンズベリー公爵が 独身のまま死去したため、クイーンズベリー公の又従弟にあたる 3代バクルー公が公位を継承してバクルー・クインズベリー公爵となっています。

300年以上に亘る公爵家が代々収集して来た美術品は500点余りの絵画、 1000点近いミニチュア画、数多い家具や陶磁器、武具、宝石、銀器などがあり、 それらが往時のまま展示されています。

2003年8月の盗難事件以来厳しくなっているのでしょう、 2010年訪館時は2部屋毎に1人の看視人がいるものものしさで、撮影禁止。 従って室内写真はWebから借用しました。

この城は各部屋に相当数の絵が掛かっていますが、作者名についてタグも何も 付いていません。各部屋一葉の説明書が置いてありますが、 専らモデルが誰かということで、作者名は余程の場合しか出てきません。

看視員に聞いても、大半が自信無さそうに答えるか、判らないのです。 第60回のハンプトン・コート宮殿でも書きましたが、イギリスの王室や貴族の館は 料金を徴収して見せる割には観客へのサービス心に欠けています。

中では入口近くにあった一目でそれと判るレンブラントの老婦人像と マビューズの聖母子像が出色でした。

イギリスの旧家らしく肖像画が並んでいます。

特にお茶を楽しむ場所だったという客間は肖像画が四面の壁に並んでいます。 その中で目を惹いたのがピーター・レリーの「ダイアナ」。

ピーター・レリーは1618年オランダ人の両親のもと ドイツ、ヴェストファーレンに生誕。本名はピーテル・ファン・デル・ファース。 オランダのハールレムで画家修業し、1637年独立しレリーを名乗るようになります。

彼がこの頃描いたと思われる「川から救われるモーゼ」がフェルメールの 「天文学者」の画中画として使われていることからみても、 既にオランダで知られた画家だったことが窺えます。

アンソニー・ヴァン・ダイクが亡くなった1641年にイギリスに渡り、 イングランド王チャールズ1世の肖像画家、チャールズ2世の主席宮廷画家として 活躍。大量の肖像画注文をこなすため大工房を経営。イギリスで膨大な作品群を 産み出した最初の画家になります。このため彼の作品は世界中で見かけます。

1680年にはナイトを授かりサー・ピーター・レリーとなりますが、同年死去。

ヴァン・ダイクに始まった英国肖像画の基礎を築いた画家でした。