美術館訪問記-357 ソフィア王妃美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ソフィア王妃芸術センター

添付2:ソフィア王妃芸術センター入口看板

添付3:ソフィア王妃芸術センター中庭

添付6:ホアキム・スーニャ作
「春」

添付8:フリオ・ロメロ・デ・トーレス作
「マノーラ」

添付10:カイシャ・ホーラム前の小広場

プラド美術館、ティッセン=ボルネミッサ美術館がある マドリード、プラド通り沿いはアート・トライアングルと呼ばれ、 残りの頂点に「ソフィア王妃美術館」があります。

20世紀以降の近現代美術を展示する国立美術館で1992年開館。 当時の国王フアン・カルロス1世(在位:1975-2014年)の王妃ソフィアに ちなんで名付けられました。

入口前の看板には “Museo Reina Sofia”, “Reina Sofia Museum”, 「ソフィア王妃美術館」とスペイン語、英語、日本語の3ヶ国語のみで 表示がありました。何やら誇らしいのは私だけでしょうか。

4階建ての近代的なビルの外側に2ヶ所、外側がガラス張りになった4台ずつの エレベーターがあります。

4階に上がって見る中庭の景色は外観と異なり貫禄があります。 ここは元々18世紀に建てられた病院の外装と内装を改築したものなのです。

見どころは2階にあり、ピカソの「ゲルニカ」を核とする37点とミロ、ダリなど スペインの誇る近代画家達の作品が勢揃いしています。

「ゲルニカ」は縦349㎝、横777㎝の大作で、モノトーンの画面は 絵画というよりもグラフィック・デザインの感もありますが、 画面に満ち溢れる悲痛と怒りは強烈なものがあります。

ゲルニカはスペインのバスク地方にある古都の名前で、スペイン市民戦争さなかの 1937年4月26日、フランコ側についたヒトラーのドイツ空軍がここを空爆。 古都は炎上し、市民数百人が死亡しました。

この爆撃は焼夷弾が本格的に使用された世界初の空襲であり、 史上初の非戦闘民を狙った都市無差別爆撃でした。

ピカソはパリで暮らしていてこの悲報を聞き、それに触発されて、 当時のスペイン共和国政府に頼まれ、同年開かれたパリ万国博覧会の スペイン政府館に飾るために一気呵成に描き上げたのがこの大作です。

1939年、戦争はフランコ側の勝利で終わり、共和国政府は崩壊。 ピカソは亡命者の一人となり、「ゲルニカ」もまた祖国を失った亡命者のように ニューヨークの近代美術館に預けられることになるのです。

「ゲルニカ」がピカソの遺言に従いスペインに運ばれたのは、 フランコ総統が死んで6年後の1981年のことでした。

他のスペイン人画家ではホアキム・スーニャの「春」の平明な暖色系の心地よさ、 アンヘレス・サントス・トロエッリャのバルテュスを思わせる女性の姿態と構図、 フリオ・ロメロ・デ・トーレスのムハ風の女性肖像画、 ロザリオ・デ・ベラスコの「アダムとイヴ」等が印象に残りました。

見学後、近くのカイシャ・ホーラムを覗いてみました。

入口の前のコンクリート製の5階建てはあるビルディングの横壁一面が 植物で覆われているではありませんか。こんな物は初めて見ました。

その前の小広場には象が鼻1本で逆立ちしている大きな彫像があります。 現代美術の企画展を専門に扱うカイシャ・ホーラムの象徴のようで面白い。

(添付4:ピカソ作「ゲルニカ」、添付5:ダリ作「静物」、添付7:アンヘレス・サントス・トロエッリャ作「集まり」および添付9:ロザリオ・デ・ベラスコ作「アダムとイヴ」は著作権上の理由により割愛しました。
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