コルトーナの美術施設の話から16回も脱線してしまいましたが コルトーナに話を戻して、今回は「サン・フランチェスコ教会」を採り上げます。
この教会は1245年の創建。エリア・コッピという聖フランチェスコの一番弟子が コンスタンティノープルから持ち帰ったという聖十字架の断片が 主祭壇の聖遺物箱に保管されていることで有名です。
ここのファサードもフランチェスコ教会特有の縦長で、フラットで対称形。 中央入口は大きな鋭尖アーチ型。その上に丸窓があります。
内部はフランチェスコ教会の典型的なスタイルで、 シンプルな単身廊の終りに十字丸天井付きのアプス(後陣)があり、 その両脇にも十字丸天井付きの小さな礼拝堂があります。
天井は木製の船底形。両側壁には礼拝堂が並び、祭壇画が置かれています。
まず、ルネッタに描かれていたと思われる半月状のフレスコ画「聖母戴冠」が 目を惹きました。保護のために取り外して祭壇画としているのでしょう。
ルネッタとは入口の扉の上の半円状の部分で、イタリア語のLuna(月)に、 小さいとか可愛いという意味の接尾語、ettaがついた言葉で、 「可愛いお月様」といったような意味から来ています。
作者はヤコポ・ディ・ミーノ・デル・ペッリッチャイオ。 14世紀後半にシエナで活動した画家で、シエナのサン・フランチェスコ聖堂にも フレスコ画がありました。 おそらくフランシスコ会の縁でコルトーナの方も依頼されたのでしょう。
続いてチゴリの「パドヴァの聖アントニオの奇蹟」がありました。
パドヴァの聖アントニオは13世紀前半に実在した聖人で数々の奇蹟を起こしたと 言われていますが、この話が最も有名です。
ある異教徒が「カトリックの聖体であるパンとぶどう酒の前にロバが跪かなければ 自分はそんなものは信じられない」と豪語したのを聞いた聖アントニオが ご聖体の前にロバを連れてくると、ロバがその場に跪いた。 異教徒は奇蹟を目の当たりにしてすぐに改宗したというのです。
チゴリは本名ルドヴィコ・カルディ。1559年、フィレンツェの西30㎞ほどの チゴリ村の生まれです。
フィレンツェに出て、アレッサンドロ・アッローリの下で修業し、 マニエリスムからバロックへの橋渡しの役割を担い、 当時、卓越したフィレンツェ派画家と評価されていました。 クリストファー・アッローリを始め多くの弟子を育てた名伯楽でもありました。
主にフィレンツェで活躍した後、1604年、ローマに呼ばれ、 多くの作品を手懸けましたが、1613年同地で亡くなりました。
5歳下のガリレオ・ガリレイはチゴリを当代最高の画家と見做していましたが、 個人的にも非常に親しい間柄でした。
チゴリの作品は世界の美術館で見かけます。
ピエトロ・ダ・コルトーナの「受胎告知」もありました。
コルトーナらしいドラマティックな構図で優美な絵でした。