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美術館訪問記-346 サンタゴスティーノ教会

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サンタゴスティーノ教会

添付2:サンタゴスティーノ教会内部

添付3:アンブロージョ・ロレンツェッティ作
「荘厳の聖母(マエスタ)」

添付4:ルカ・シニョレッリ作
「エリトレアの巫女」

添付5:ミケランジェロ作
「エリトレアの巫女」 
システィーナ礼拝堂蔵

添付6:ペルジーノ作
「聖人達を伴った十字架のキリスト」

添付7:ソドマ作
「東方三博士の礼拝」

添付8:作者不詳
「東方三博士の礼拝」 4世紀 石棺彫刻
ヴァティカン市国、ヴァティカン博物館蔵 

添付9:カルロ・マラッタ作
「聖母子と諸聖人」

マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「嬰児虐殺」が元々あった 「サンタゴスティーノ教会」はシエナの街の南端に位置します。

1258年着工され50年以上かけて建設されています。 1747年の大火後ルイージ・ヴァンヴィテッリによって改築されました。

赤レンガ造りの堅固な構造で内部には美術館のように絵画が並んでいます。

年代の古い順に観て行くと、アンブロージョ・ロレンツェッティの 「荘厳の聖母(マエスタ)」がありました。

シモーネ・マルティーニのマエスタの23年後、1338年の作で それだけにドゥッチョやマルティーニのマエスタに比べるとずっと人間性が増し、 登場人物が少ないせいもあってか人物の身体のボリュームや空間配置も自然さが 加わって来ているのが感じられます。

天井にはルカ・シニョレッリの描いたフレスコ画「エリトレアの巫女」が ありました。

ミケランジェロがルカ・シニョレッリに心酔していて、システィーナ礼拝堂の 「最後の審判」を描く際、オルヴィエート大聖堂のルカの壁画を参考にしたと 書きましたが、システィーナ礼拝堂の天井画に描いた「エリトレアの巫女」は ルカのこの絵とは随分異なっています。

右手の2番目の礼拝堂にはペルジーノの祭壇画 「聖人達を伴った十字架のキリスト」がありました。

シエナで観られる唯一のペルジーノ作品で、彼の晩年の作。 反転コピーされた天使像などパターン化されたペルジーノ様式です。

左手前に跪いて胸に手を当てているのがこの教会が祀る聖アゴスティーノ。

その隣にあるのがピッコローミニ礼拝堂。 祭壇の上にはソドマの「東方三博士の礼拝」がありました。

東方の三博士とは、新約聖書に登場し、イエスの誕生時にやって来て これを拝んだとされる人物のことです。

東方の三賢者または東方の三賢人、あるいはマギという呼称も使われます。

ただ聖書には「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、 人数は明記されていません。

彼らはイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物として捧げたとされ、 この贈り物の数から「三人」とするのが定着しました。

乳香(にゅうこう)とはムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から分泌され る樹脂のことで香として使われたり、香料の原料として利用されたりします。

没薬(もつやく)とは、ムクロジ目カンラン科コンミフォラ属の各種樹木から 分泌される、赤褐色の植物性ゴム樹脂のことで、香として焚いて使用されたり、 鎮静薬、鎮痛薬としても使用されたりしていました。

「東方三博士の礼拝」は古くから現代まで美術作品の主題としてよく使われます。

12世紀頃から三博士は老年、壮年、青年の三年代、 またヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸の象徴として 王権を象徴する老年以外の一人を黒人に描き分けられるようになってきます。

1530年に描かれたこの絵でもソドマはその慣習に従っています。

この教会には他にも最後のシエナ派と言われるフランチェスコ・ヴァンニや 彼の義弟のヴェンテューラ・サリンベーニ、17世紀末から18世紀初にかけて ローマ絵画界の中心画家だったカルロ・マラッタ等の作品もありました。