戻る

美術館訪問記-347 サン・ニッコロ・デル・カルミネ教会

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サン・ニッコロ・デル・カルミネ教会

添付2:サン・ニッコロ・デル・カルミネ教会内部

添付3:ジローラモ・デル・パッキア作
「キリスト昇天」

添付4:ソドマ作
「マリアの生誕」

添付5:ラファエロ作
「アテナイの学堂」拡大図

添付6:ベッカフーミ作
「堕天使の追放」

添付7:リッチョとアルカンジェロ・サリンベーニ作
「羊飼い達の礼拝」

前回のサンタゴスティーノ教会から西に100mも行くと 「サン・ニッコロ・デル・カルミネ教会」があります。

この教会は1265年、文献に登場し、現在見られるような塔付きの姿になったのは ラファエロの没後、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に任命された シエナ生まれの建築家バルダッサーレ・ペルッツィが1517年設計し、 17世紀までかかって完成された後の事でした。

堂内はサンタゴスティーノ教会同様、絵画で溢れています。

サン・ベルナルディーノ祈祷堂の2階を飾っていたジローラモ・デル・パッキア、 ソドマ、ベッカフーミがここでも揃い踏みをしています。

ジローラモ・デル・パッキアの「キリスト昇天」は構図や色彩、登場人物描写、 どれをとってもペルジーノの作かと思ったぐらいよく似ています。

パッキアはピントゥリッキオの助手として働いていたので、 ピントゥリッキオの師匠のペルジーノの手ほどきを受けたり、 作品の模写をしたりする機会が十分あったに違いありません。

ソドマの「マリアの生誕」は彼の特質が出た好ましい絵です。

ソドマは本名ジョヴァンニ・アントニオ・バッツィ。 ミラノの西にあるヴェルチェッリで1477年誕生。

ロンバルディア派の画家の下で修業し、その頃ミラノに滞在していた レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を強く受けています。

1503年からはシエナに移住し、以後1549年に亡くなるまで 2度のローマ行き以外ほとんどシエナで過ごしました。

ローマではラファエロと親しくなり、ラファエロはヴァティカン宮殿の署名の間に 描いた「アテナイの学堂」に自画像と並んでソドマの肖像を描いています。 添付4で右端に描かれたのがソドマ。 その隣で観客に視線を投げかけているのがラファエロの自画像と言われます。

ソドマとはイタリア語で「ソドムの男」、つまり聖書の中で堕落した都市と 記述されているソドムの住人のように罪深い男という意味で、男色者を指します。

しかしソドマにはそのような証拠はなく、若くして結婚し娘を設けています。 むしろソドマ自身は自分の仇名を気に入っていたようで、 単なる品行方正人間ではない規格外の画家という自負があったのでしょう。

この教会の白眉はベッカフーミの「堕天使の追放」。 ベッカフーミ渾身の最高傑作と言えるでしょう。

堕天使とは天使でありながら、高慢や嫉妬、あるいは自らの意志で 天界を追放された天使達の事です。

ルシファーという堕天使の長は傲岸にも堕天使たちを率いて神に戦いを臨み、 神は大天使ガブリエルを先頭に立て、彼らを地獄へと追い払います。

キリスト教では悪魔はこのルシファーの堕落後の姿としています。

画面を天界と地獄に2分割し、上部に色彩と光を当て、 最上部に怒れる神と神への憧憬に溢れる善良な天使達、 中央に長剣を振りかざして戦う大天使ガブリエル、 下方に暗色で堕天使達を配した構図は 絵画の勧善懲悪図というべきものになっています。

この教会にはソドマの弟子でソドマの娘と結婚したリッチョ (本名:バルトロメオ・ネオーニ)が描き始め、 途中からアルカンジェロ・サリンベーニが引き継いで完成させた 「羊飼い達の礼拝」を始め、他にも幾つかの祭壇画があります。