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美術館訪問記-345 サンタ・マリア・デッラ・スカラ救済院

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サンタ・マリア・デッラ・スカラ救済院

添付2:マッテオ・ディ・ジョヴァンニ作
「嬰児虐殺」

添付3:マッテオ・ディ・ジョヴァンニ作
「嬰児虐殺」
ナポリ、国立カポディモンテ美術館蔵

添付4:サンタ・マリア・デッラ・スカラ救済院内部

添付5:ドメニコ・ベッカフーミのフレスコ画

添付6:ドメニコ・ディ・バルトロのフレスコ画

添付7:ドメニコ・ディ・バルトロのフレスコ画

前回採り上げたマッテオ・ディ・ジョヴァンニの最高傑作のあるのが 「サンタ・マリア・デッラ・スカラ救済院」。

シエナ大聖堂前の広場にあるこの建物は、現在は博物館になっていますが、 前身は救済院で巡礼者や貧者、孤児のための宿泊施設や病院でした。

言い伝えでは898年の創建となっていますが、書物に現れるのは1090年。 現存するヨーロッパ最古の病院建築です。

入るとすぐにマッテオ・ディ・ジョヴァンニの「嬰児虐殺」がありました。

今描き終えたばかりのような色彩の鮮やかさに驚かされましたが、 何という迫力。発散しているエネルギーはただものではありません。

「嬰児虐殺」は新約聖書にある物語で、東方の三博士から 新しい王(イエスのこと)がベツレヘムに生まれたと聞いて怯えた ユダヤの支配者ヘロデ王が、ベツレヘムで 2歳以下の男児を全て殺害させたとされる出来事です。

イエスの両親ヨセフとマリアはお告げでこの危機を知り、幼児イエスと エジプトに逃れており無事でした(「エジプトへの逃避」)。

「嬰児虐殺」と「エジプトへの逃避」は数多くの絵画に描かれています。

しかしマッテオ・ディ・ジョヴァンニ以前にこれほどのセンセーショナルな 暴力シーンとして「嬰児虐殺」を描いた画家は一人もいません。

まさに阿鼻叫喚が聞こえてくるような凄惨さを描き切ったのは この絵が史上初と言えるでしょう。

元々はサンタゴスティーノ教会の祭壇画として描かれたもので1482年作。

さらにこの絵を陰惨にしているのは、背景の窓から平然と笑みさえ浮かべて 殺戮場面を眺めている子供たちの存在です。

このブラックユーモアのような感覚を530年以上前の絵画に見出すのは 戦慄すら覚えます。

ナポリの国立カポディモンテ美術館へ行った時に同様な構図の マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「嬰児虐殺」を見つけました。

こちらは1488年作で、シエナにある作品に打たれた人物が所望して 同じ絵を発注したのでしょう。ただこちらは原画の毒性は薄められています。

子供たちは網目の隙間から恐々と覗き込んでいますし、ヘロデ王と兵士たちの 残忍な表情はかなり緩和されています。 嬰児の口から後頭部へ抜ける長剣は姿を消しています。

この博物館の内部は地下2階まで広がっており、入り組んで複雑です。 最初に地図があるか聞いたのですが、ないということでした。

歩いていると天井と壁がフレスコ画で満たされた部屋に出ました。 天井の青色を背景にした幾何学模様が美しい。

更に行くとドメニコ・ベッカフーミのフレスコ画に出くわしました。 相当に剥落して、所々全く消えています。 しかし明らかにベッカフーミの手になるものです。

他には古いフレスコ画や、ドメニコ・ディ・バルトロが慈善介護の間に、 この病院の歴史と日常生活を描いた巨大壁画等がありました。

ドメニコ・ディ・バルトロはシエナ派の一人で15世紀前半シエナで活動しました。