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美術館訪問記-342 プッブリコ宮殿

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:プッブリコ宮殿

添付2:シモーネ・マルティーニ作
「荘厳の聖母(マエスタ)」

添付3:アンブロージョ・ロレンツェッティ作
「善政の寓意」

添付4:アンブロージョ・ロレンツェッティ作
「都市における善政の効果」

添付5:アンブロージョ・ロレンツェッティ作
「田園における善政の効果」

添付6:アンブロージョ・ロレンツェッティ作
「悪政の寓意と効果」

添付7:枢機卿の間

添付8:ドメニコ・ベッカフーミ作
「国家への愛の寓意」

添付9:プッブリコ宮殿テラスからの眺め

前回最後に述べたカンポ広場のマンジャの塔があるのが「プッブリコ宮殿」。

1288年から1348年にかけて造られた市庁舎です。塔の高さは102m。

ここの2階は市立美術館になっていて、シエナの歴史を物語る多くの部屋があり、 各部屋にはフレスコ画が展示されていて壮観です。

各部屋には名前がつけられており、「世界地図の間」には シエナの版図を描いた壁画がありました。

この部屋で瞠目したのはシモーネ・マルティーニの「荘厳の聖母(マエスタ)」。

シモーネ・マルティーニは1284年頃シエナの生まれで、ドゥッチョの弟子となり シエナ派を代表する画家となります。

枠縁に署名と年代が残っているこの絵を1315年に仕上げた後、 ナポリやアッシジでも傑作を残し、1340年にはアヴィニョンに移り、4年後死去。

フランス、アヴィニョンには、1309年から1377年まで7代にわたる教皇が アヴィニョン教皇庁を構えていました。

当時のアヴィニョンの教皇庁には各国から多くの画家が訪れており、 活発な交流が行われてヨーロッパ一の文化都市の様相を呈していました。

各国の宮廷で培われた絵画は、地方によって多少趣を異にするとはいえ, いずれも観念的幻想的要素と,こまやかな自然の観察が微妙に混ざり合い, 宮廷的繊細華麗な趣に溢れていました。

シモーネ・マルティーニはシエナ派がビザンティン様式に北方のゴシック様式を 取り入れた基盤にこれらの絵画要素を取り込み、装飾的で物語的な様式を確立。

この様式が国際ゴシック様式と呼ばれ、アヴィニョンに来ていた画家達を通して ヨーロッパ各国に広まり、大きな影響を与えました。

シモーネ・マルティーニの「荘厳の聖母」はドゥッチョの「荘厳の聖母」の構成は 借用していますが、僅か4年後に描かれたとは信じられないほど、写実性を増し、 宙に浮いていたような天使達や聖人達の位置関係は正され、 背景の金地は青色に替わり、聖母子も人間味を帯び、 他の登場人物達と大きさでも同じになり、日常性がはるかに増大しています。

「平和の間(9者の間とも言われる)」には第262回で触れた アンブロージョ・ロレンツェッティの「善政の効果と悪政の効果の寓意」あり。

この絵はまことに貴重で、 700年近い昔の人々の暮らし振りを目の当たりにしてくれます。 時を経て、変わったものと変わらぬものとの差の少なさに驚かされるのです。

絵画鑑賞の楽しみは時として歴史探訪の楽しみと重なるようです。

「枢機卿の間」にはドメニコ・ベッカフーミの天井画があります。 天井一杯に描かれたこの絵は3列に5点ずつ、円形、長方形、八角形、 合計15点の絵とそれらを埋める幾つかの小図から成っています。

この部屋はシエナ政庁の会議室に使われ、そのためか15点の主題は 古代ギリシャ、ローマの歴史からの逸話になっています。

急な階段を上ってテラスに出ると眼下に市場のある広場や シエナの田園風景が臨めるのでした。