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美術館訪問記-340 サン・ジョヴァンニ洗礼堂

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サン・ジョヴァンニ洗礼堂正面

添付2:サン・ジョヴァンニ洗礼堂内部

添付3:洗礼盤

添付4:ヤコポ・デッラ・クエルチャ作
「ザカリアへの受胎告知」

添付5:ロレンツォ・ギベルティ作
「イエスの洗礼」

添付6:ドナテッロ作
「ヘロデの饗宴」

シエナ大聖堂から外に出て右手の階段を半ば降りた所、 大聖堂後陣の真下に当たる位置に「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」があります。

もともとは新大聖堂拡張計画に伴い、洗礼者ヨハネの教会として作られました。

拡張計画の失敗により1355年から20年かけて改装工事が行われ、 洗礼堂となったのですが、ファサード上部などは未完のままです。

ここの一番の見所は中央に置かれた洗礼盤で、 当時のトスカーナの3大彫刻家であるドナテッロ、ロレンツォ・ギベルティ、 ヤコポ・デッラ・クエルチャが製作に参加しています。

大理石製の洗礼盤は中央にクエルチャ設計の小さな塔を持ち、 てっぺんには彼自身の手による洗礼者ヨハネ像が、 それを支える六角柱の各面には予言者像が彫られています。

下部には洗礼者ヨハネの生涯を主題とした6枚の青銅製パネルが はめ込まれています。

1416年、シエナ大聖堂執行部は後にかのミケランジェロが「天国の門」と称賛した フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の門扉を完成させたばかりの ロレンツォ・ギベルティを招聘し、シエナ出身の彫刻家 ヤコポ・デッラ・クエルチャとジョヴァンニ・ディ・トゥリーと共に この洗礼盤青銅製パネルのデザイン、制作を依頼します。

しかしヤコポ・デッラ・クエルチャの仕事の遅さに業を煮やした大聖堂執行部は、 クエルチャに割り当てられていた1枚を ギベルティの弟子のドナテッロに任せるのです。

最終的にこの洗礼盤は1431年に完成しています。

クエルチャの作成した「ザカリアへの受胎告知」は 新約聖書ルカ福音書に記述されているお話で、 祭司ザカリアと妻エリザベトは老齢になるまで子供ができなかった。

ある日ザカリアの所に大天使ガブリエルが来て、エリザベトが男子を身籠るので、 名をヨハネとつけるよう告知する。ザカリアはこれを信じなかったため、 ヨハネが誕生するまで口がきけないようにされるのです。

やがて身籠ったエリザベトの許に、イエスを身籠ったエリザベトの縁者の 聖母マリアが訪問し、3か月ほど滞在します。

月満ちてエリザベトは後の洗礼者ヨハネ、 6か月後にマリアはイエスを産み落とします。

ヨハネは成人後、イエスに洗礼を与え、布教活動中にヘロデ王に捕らえられます。 ヘロデ王は饗宴で巧みな踊りを踊った娘サロメに褒美に望むものを約束しますが、 サロメは誘惑を無視されたヨハネの首を望み、ヨハネは斬首されるのです。

この一連の話は絵画や彫刻に頻繁に主題として登場するので、 ここで簡単にまとめておきます。

洗礼者ヨハネ(イタリア語ではサン・ジョヴァンニ)はイエスの先駆者として 特別の尊崇を受け、カトリックでは聖人とされ、彼を祀る教会や洗礼堂も多い。

この3作の中では、ドナテッロの「ヘロデの饗宴」がその他のパネルと比べて 深い奥行き効果を巧みに表現しています。

彼が完成させた「スキアッチャート(イタリア語で押し潰す)」技法、つまり 超薄浅浮彫で空間を押し潰すように表現する技法を有効に駆使しています。

前景はヘロデ王にヨハネの首を差し出している場面で、居並ぶ人々は驚愕し、 二人の子供は恐怖のあまり逃げ惑っています。

中景は楽隊のいる部屋。その奥には切り落とした首を運んでくる兵士が見えます。

つまり、画面の奥行きは三次元的空間を表すと同時に時間の経過をも示しています。