話をコルトーナの町に戻して、街の石畳の坂を登り石垣に囲まれた中にある、 まるで苔むした古寺のようなロマネスク様式の小さな教会について述べましょう。
それが「サン・ニッコロ教会」。
1440年の創建。内部は単身廊で礼拝堂ぐらいの広さ。 17-8世紀の修復でバロック様式に造り替えられています。
中央に十字架の先が低い天井に届きそうに、 大きな十字架を運ぶキリストの木像が鎮座していました。
このような教会は初めて見ました。
正面中央の主祭壇にはルカ・シニョレッリの 「死せるキリストへの哀悼」が架かっています。
この絵は左端を軸にして開けられるようになっており、 裏側にはルカ・シニョレッリの「聖母子と聖ペテロと聖パウロ」がありました。
訪れた日は開いていて両方をじっくり観る事ができましたが、 いつもはどうなっているのでしょうか。
左側壁面中央にはルカ・シニョレッリの手になるフレスコ画 「聖母と諸聖人」もありました。
ルカ・シニョレッリは1445年頃コルトーナの生まれ。
この頃の画家の常として生年や修業時代の事はハッキリしませんが、 ヴァザーリによるとピエロ・デッラ・フランチェスカの弟子だったといいます。
しかし私が「雄弁な沈黙」と表現したピエロ・デッラ・フランチェスカの理知的で 静寂に満ちた画面に比べ、シニョレッリの画面は彫刻的で動きのある人体の躍動と 明るい色彩に満ちています。
ローマ教皇シクストゥス4世はヴァティカンのシスティーナ礼拝堂の壁を装飾する 旧約、新約聖書の物語を描くことを1481年、当時最高の画家達に依頼しています。
ピエトロ・ペルジーノが主として受け、ピントゥリッキオやボッティチェッリ、 ドメニコ・ギルランダイコ、コジモ・ロッセリ、ピエロ・ディ・コジモと並んで ルカ・シニョレッリもその一員に加わり「モーゼの遺言と死」を描いています。
これからしてもルカ・シニョレッリが当代一流の画家と見做されていた事が 解ります。この時29歳だったレオナルド・ダ・ヴィンチはさぞかし悔しい思いを していたでしょうが。
なお、この時まだ6歳だったミケランジェロが教皇ユリウス2世から システィーナ礼拝堂の天井画を依頼されるのは、この27年後、1508年の事です。
ルカ・シニョレッリが自分の親戚筋に当たると書いているヴァザーリは、 シニョレッリは画家というよりも貴族というにふさわしい人物だったと 評していますが、シニョレッリは1488年から亡くなる1523年まで コルトーナの治安判事の職に就いていました。