戻る

美術館訪問記-330 サン・ブレーズ・デ・サンプル礼拝堂

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サン・ブレーズ・デ・サンプル礼拝堂

フランス、パリの南南東、フォンテーヌブローの西端にミイ・ラ・フォレという 小さな町があります。ミイとはラテン語で騎士の事。 つまりミイ・ラ・フォレとは騎士の森の意です。

1946年「美女と野獣」を撮り終えたジャン・コクトーはジャン・マレーと共に 住んでいたパリのアパートに往来する人が増え、創作活動に集中できなくなり 別荘が欲しいと言い出します。

コクトーのマネージャーがミイ・ラ・フォレに格好の物件を見つけて来て コクトーとマレーは一目で気に入り、購入して1947年1月ここに移り住みます。

コクトーは結局この家で臨終を迎えることになるのですが、 この町には彼が装飾したもう一つの礼拝堂があります。 それが町の外れにひっそりと佇む「サン・ブレーズ・デ・サンプル礼拝堂」。

元々この礼拝堂は、12世紀初めにエルサレムの神殿守護のために設立された 修道会、テンプル騎士団Templierのために1136年に建てられたもの。

その後、癩病院として使われたため、この礼拝堂名はサンプルという名の 薬草を使って患者を治療した司教、聖ブレーズに由来しています。

1958年の改修工事にあたり、ジャン・コクトーが内装を手掛ける事になります。

行ってみると鄙びた礼拝堂が一つだけあるもので、その前にガイドツアーの 販売とブックショップを兼用した小さな建物がありました。

礼拝堂に入ると、そのガイドツアーの真最中で20人程はいたでしょうか、 狭い堂内、一杯の観光客と正面前に若い女性のガイド。 ただ説明は録音が流れていました。ジャン・マレーの低く豊かな声です。 後で考えると、本来は予約した客しか入れなかったのかもしれません。 礼拝堂前には20人程が思い思いに待っていましたが、私は一人でどう見ても フランス語を解する様には見えないのでフリーパスだったのでしょう。

内部は矩形の、小さな礼拝堂内は、正面に円形の明り取りの窓があり、 残りの3壁にはコクトー作の小振りのステンドグラスがあります。

正面にはコクトーの線描でキリスト復活の場面が描かれ、 残りの3壁には色付けされた薬草、サンプルの図が描かれています。

入口裏側の壁の下隅には薬草を見上げる猫の図があり、 その足の間にコクトーのサインがありました。

1963年にコクトーがこの村で亡くなった翌年、彼の亡骸がここに埋葬されました。 墓石の横には、マントンの要塞美術館にあるのと同じ文句、 「Je reste avec vous(私はあなたとともにいる)」が刻まれていました。

(添付2:サン・ブレーズ・デ・サンプル礼拝堂内部正面、添付3:内部横壁、添付4:内部入口裏壁、添付5:無人時の堂内および添付6:猫の足の間にあるコクトーのサイン 1958の8の下が欠けている  は著作権上の理由により割愛しました。
 長野さんから直接メール配信を希望される方は、トップページ右上の「メール配信登録」をご利用下さい。 管理人)