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美術館訪問記-328 マントン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:マントン美術館

添付2:マントン美術館

添付3:マントン美術館

添付4:ベルナルディーノ・ルイーニ作
「聖母子と洗礼者ヨハネ」

添付5:ラウル・デュフィ作
「森夫人の肖像」

添付6:モイズ・キスリング作
「サントロペの小路」

添付7:フィリップ・ド・シャンパーニュ作
「聖マウリスと聖ブラキドゥスを迎え入れる聖ベネディクトゥス」

添付8:フィリップ・ド・シャンパーニュ作
「リシュリュー宰相」
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

マントンには市立美術館があるのでこの際カバーしておきましょう。

それが「マントン美術館」。

モナコがこの地を支配していた時に、夏の宮殿として使われたカルノレス宮が 美術館となっているもので、広い庭を前にして佇む優雅な2階建ての瀟洒な建物。

庭園には、柑橘類の木々と70余の彫刻が品よく配されていて、 モナコ王家の趣味の良さが伝わってきます。

17世紀に建造された建物内部も宮殿の趣を留め、壁や天井もそれらしい造り。 鏡やシャンデリア、家具なども凝っています。

ベルナルディーノ・ルイーニの優品「聖母子と洗礼者ヨハネ」がありました。 師のレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な「岩窟の聖母」を彷彿とさせる構図ですが、 ルイーニらしい甘美な表現で背景の風景も素晴らしい。

デュフィの「森夫人の肖像」がありました。 海の好きなデュフィの荒いタッチの青色をバックにした日本人女性。 1921年作とありました。デュフィはこの頃パリのモンパルナスに住んでいたので パリ在住の日本人と接点があったのでしょう。

キスリングの「サントロペの小路」もありました。 南仏サントロペの燦々たる陽光を感じる鮮烈な色彩。

鄙びた漁村だったサントロペは、ヨットを乗り回すのが大好きだった シニャックが1890年代に居を構えてから画家仲間が集う場所になって行きます。

ちょっとしたフランスの美術館では必ず見かける フィリップ・ド・シャンパーニュの作品が1点ありました。 「聖マウリスと聖ブラキドゥスを迎え入れる聖ベネディクトゥス」。

聖ベネディクトゥスは6世紀に実在した聖人で修道制度の創設者と呼ばれ、 ベネディクトゥスの著した会則は西ヨーロッパに広く普及し、 やがて「西欧修道士の父」と称されるようになります。

聖マウリスと聖ブラキドゥスはローマの貴族の出身で、 ベネディクトゥスの修道院が子弟の教育に好適という認識から 貴族たちが子供を預けるようになり、その中からこの二人のように 後に聖人に列せられる人物も出てくるのでした。

フィリップ・ド・シャンパーニュは1602年、ブリュッセルの貧しい家の生まれで、 地元の風景画家の下で修業後、1621年パリに出ます。

第130回で触れたリュクサンブール宮殿の装飾を指揮していた ニコラ・デュシェーヌの下でニコラ・プッサンと共に働きます。

デュシェーヌの娘と結婚したことからデュシェーヌの後援を得て、 イタリア出身で、フランス国王アンリ4世の2番目の王妃で、ルイ13世の母、 マリア・デ・メディチやルイ13世、宰相リシュリューの庇護を受けて 精力的に制作活動をおこないます。

イタリア古典絵画に倣う豊潤な色彩と出身のフランドルの緻密な写実性、 記念碑的な構図を融合させた彼の絵画は絶大な支持を得、 宮殿や教会の装飾を手掛けながら上流階級の人々の肖像画も数多く残しています。

1648年、フランス王立絵画・彫刻アカデミーの創立メンバーの一人となり、 フランス人として72歳でパリで死亡。

フランスだけでなく欧米の美術館でもよく見かける画家です。