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美術館訪問記-322 レザバトワール近現代美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:レザバトワール近現代美術館

添付2:レザバトワール近現代美術館中庭

添付3:フェルナン・レジェ原作
「曲芸師と音楽家達」
(モザイクによる複写作品)

添付4:レザバトワール近現代美術館内部

トゥールーズにあるもう一つの美術館が「レザバトワール近現代美術館」。

旧屠蓄場を改築したユニークな近現代美術館で、 広い敷地内には幾つもの建物があり、それらの中央に位置するのが美術館。

美術館名のレザバトワール(Les Abattoirs)というのはフランス語で 屠蓄場という意味です。面白い名前の美術館もあるものです。 元は屠蓄場だったので市街地から離れてガロン川の対岸に位置しています。

レモンIV庭園と接した敷地内に遊園地やレストランもあります。

それらの建物の外壁面に大きなフェルナン・レジェのモザイクが10点も 展示してありました。ただしこれらはレジェの原画に基づくモザイク工房の作品。

館内は中央に広い通路があり、両脇に展示室が設けられています。 主に企画展用に使用されているようで、私には興味を持てそうにない ビデオや現代美術ばかりの展示でチラと見て歩き過ぎるものばかりでした。

救いは 地下展示室にあるピカソの巨大な舞台幕。

高さ830cm、横幅1325cmというこの舞台用の緞帳は、ピカソが1936年に描いた インク画(44.5×54.5cm)を拡大して 、ピカソの友人だった 画家ルイス・フェルナンデスが緞帳に仕上げたものです。

この緞帳の出来るまでには興味深いエピソードがあります。

1936年6月、春の選挙で圧勝し成立したフランス人民戦線政府が 7月14日の革命記念日を祝って7月14日に幕開けする ロマン・ロラン原作劇「7月14日」のための緞帳をピカソに依頼します。

1936年2月、生れ故郷のスペインで成立したスペイン人民戦線を支持していた ピカソはこれを引き受け、新しい絵を描こうとしますが完成できず、 急遽、5月に描いていたインク画を代用して、友人に緞帳に仕立ててもらうのです。

スペイン人民戦線の勝利から着想したと思われるインク画、 「道化師の服装をしたミノタウルスの遺体」は ロマン・ロランの革命劇に相通じるものがあるとピカソは考えたのでしょう。

画面左手で馬の皮を被り、右手を突き上げている髭面の男はピカソに 背負っている若者は新しく愛人になったドラ・マールに似ています。

写真家だったドラ・マールがピカソとフェルナンデスが共同で緞帳を 作成する様子を撮影した8枚の写真が左側の壁に展示されていました。

1936年7月14日、舞台は政府の要人たちも参加して無事、幕を揚げましたが、 その3日後の7月17日、スペインではフランコ将軍がクーデターを起こし、 3年後にはスペイン人民戦線政府は壊滅。 フランスでも1937年には人民戦線政府は崩壊してしまいます。

ところで、この緞帳がなぜトゥールーズにあるかというと、 1965年オーギュスタン美術館が「ピカソと演劇」という特別展を開催。

この催しは大成功で、ピカソも当時の妻のジャクリーヌと会場を訪れ、 館長から、出展中の緞帳を、暫く展示続けさせてもらえないかと頼まれたのに、 鷹揚に「これはトゥールーズにあげよう」と答えたという事です。

日本人画家、正延正俊と鷲見康夫の抽象画も展示されていました。

(添付5:ピカソ、ルイス・フェルナンデス共作緞帳「道化師の服装をしたミノタウルスの遺体」、添付6:ピカソ作「道化師の服装をしたミノタウルスの遺体」、添付7:正延正俊作「無題」および添付8:鷲見康夫作「ペインティング」は著作権上の理由により割愛しました。
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