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美術館訪問記-321 オーギュスタン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:オーギュスタン美術館

添付2:オーギュスタン美術館回廊

添付3:オーギュスタン美術館内部

添付4:オーギュスタン美術館内部

添付5:ルーベンス作
「磔刑図」

添付6:ピーテル・ヴェレルスト作
「老人の肖像」

添付7:ピエール・ミニャール作
「芦を持つキリスト」

添付8:フランチェスコ・ソリメーナ作
「女性の肖像」

フランスの南西部に位置するトゥールーズは人口45万人余り、フランス第5の 都市で、ここにはバンベルグ財団美術館の他に2つの美術館があります。

その1つは「オーギュスタン美術館」。

フランス革命後に国の政策で15の地方都市に造られた美術館の一つです。

この美術館は元々は聖アウグスティヌス(フランス語ではオーギュスタン) 修道院だった14世紀の建物。教会もそのまま残っており、展示室になっています。

美しい中庭を囲む正方形の建物で、回廊に何体も並ぶ西洋狛犬の上を見上げ、 口を開けて笑っているようなとぼけた彫刻が面白い。

展示品はキリスト教美術が中心で、数々の彫刻やサン・セルナン聖堂等にあった ロマネスクの柱頭彫刻の展示は世界でも有数のものです。

絵画も曇りガラス天井の広い展示室に2,3段に展示されています。

ペルジーノからモーリス・ドニまで古典から近代絵画を網羅して展示されています。

印象に残ったのは、ルーベンスの迫真的で動きのある磔刑図、 レンブラントの弟子のドナルド・ドゥの弟子だったピーテル・ヴェレルストの レンブラント風の肖像画、 ピエール・ミニャールの「芦を持つキリスト」、 フランチェスコ・ソリメーナの凛とした女性像、 グアルディの典型的なヴェネツィア風景、 モリゾーの「公園の椅子に腰かけるジェーン」等。

ピエール・ミニャールはフランス古典主義時代を代表する画家で 1612年、トロアの芸術家の家に生れ、兄のニコラも著名な画家でした。 ニコラの息子もピエールという名で画家になっているので注意が必要です。

ピエール・ミニャールは青年期にパリに出て、フランスの代表的バロック画家、 シモン・ヴーエのアトリエで修業後、1635年にローマへ向い、ラファエロや アンニーバレ・カラッチなどを模写しながら優美で甘美な画風を身に付けます。

ミニャールの聖母子像は、「ミニャルド(ミニャール風)」と呼ばれ、 愛らしく優雅な人を形容する言葉として今日でも用いられている程です。

22年間を過ごしたローマでは「ローマ人」と仇名される程の成功を収め、 1657年、パリに凱旋帰国後は上流階級の肖像画を多く残しています。

ライバルだったシャルル・ル・ブランの死後は彼の後を継いで、 宮廷首席画家と王立絵画・彫刻アカデミーの会長職へ就いています。

フランチェスコ・ソリメーナは1657年、ナポリの東にあるアヴェリノの生れ。 画家だった父親の手ほどきを受けて育ちます。

17歳でナポリに出て、後に教皇ベネディクト13世となる ヴィンチェンツォ・オルシーニ枢機卿の庇護を受け、ナポリで大工房を開き、 1690年代から1747年に死去するまでナポリの画壇をほぼ独占し、 数多くのフレスコ画や祭壇画、肖像画を残しました。

彼の工房はアカデミーの様相を呈し、フランチェスコ・デ・ムーラや ジョセッペ・ボニート、フランチェスコ・カンポーラ、コッラード・ギアキント、 セバスティアーノ・コンカ等錚々たる逸材が続々と巣立って行きました。

第180回で触れたスコットランドの誇る画家、アラン・ラムゼイも ソリメーナの工房で3年間修業しているのです。

ピエール・ミニャールはフランス以外ではあまり目にしませんが、 フランチェスコ・ソリメーナは欧米の美術館でちょくちょく見かけます。