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美術館訪問記-317 クリーヴランド美術館-2

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ルノワール作
「ロメーヌ・ラコー」

添付2:アングル作
「アンティオコスとストラトニケ」

添付3:ドラクロワ作
「アレクサンドリーネ=ジュリーの肖像」

添付4:ベンジャミン・ウエスト作
「妻エリザベスと息子ラファエル」

添付5:クールベ作
「アルプスのパノラマ風景、ダン・デュ・ミディ」

添付6:ゴーギャン作
「波間にて」

添付7:ゴッホ作
「アデリーヌ・ラボー」

添付8:セガンティーニ作
「松の木」

クリーヴランド美術館の近代絵画の筆頭に来るのは ルノワールの「ロメーヌ・ラコー」でしょうか。

クリーヴランド美術館は2006年1月から2006年10月まで一時閉館し、 大規模なリノベーション工事を行い、その間に東京や北京、ミュンヘン、 ロサンゼルスなどへの所蔵作品の巡回展が開催されました。

東京では森アーツセンターギャラリーでクリーヴランド美術館展があり、 その時のカタログ本の表紙をこの絵が飾っていました。

この絵はルノワールが23歳になった直後に、 署名と日付の入った最初の肖像画として、ラコー家の注文で描いたものです。

彼は当時画学生で古典の勉強をしながら同じ画学生だったモネやバジ―ル、 シスレーなどと自分達の絵を描くために絵画的な実験を繰り返していました。

髪の毛はルーベンスを、顔やレースの表現はアングルを、白い厚塗りはクールベを、 花模様の背景はコローをと、当時学んでいた巨匠達の影響が垣間見えますが、 それらを見事に自分のものとして、 彼自身の温かみと愛情を彷彿とさせる絵画へと昇華させているのが見事です。

そのアングルの「アンティオコスとストラトニケ」がありました。

原因不明の病で死の床に就いた息子のアンティオコスを憂いたシリアの王 セレウコス1世は名医を呼びますが、医者は王の再婚した若妻、ストラトニケを 見た途端に早まった王子の脈から事情を察し、王は妻を離婚し、 息子と結婚させる事になる歴史上の事実を描いた絵です。

恋愛と父性愛を描いたこの絵はアングルの名を高める事となりました。

アングルのライバル、ドラクロワの彼らしくない、はかなげな女性の肖像画 「アレクサンドリーネ=ジュリーの肖像」がありました。 彼女はこの時まだ14歳。後にレイモンド伯爵夫人となります。

ラファエロを尊敬する余り長男をラファエルと名付けたベンジャミン・ウエストが、 妻とその長男をラファエロの小椅子の聖母を模して描いたトンドは 親密な愛情が感じられる名画。

クールベの、右端がまだ描きかけの彼最後の作品もありました。

パリ・コミューンに加担した破壊事件の莫大な弁償金支払いを逃れて スイスに亡命していた彼が1879年開催のパリ万博に出品するつもりで描いていた 150 x 210cmの大作「アルプスのパノラマ風景、ダン・デュ・ミディ」です。

クールベは1877年12月31日に飲酒過多による肝臓病で死去。

ゴーギャンの泳ぐ女性の後ろ姿をシンプルに描いた象徴主義を宣言する作品 「波間にて」もあります。

彼は被写体をあえてぎこちなく平板に描き、オレンジと緑という補色関係を 対比することで色彩を強調しています。

ゴーギャンは、芸術家は奴隷のように自然を模倣するのではなくその内なる意味を 明らかにするために、経験をゆがめ、誇張し、強調すべきなのだと主張しました。

この作品は1889年、象徴派の最初の展覧会に出品されました。

ゴッホの終焉の地となったオーベルジュの宿の娘を描いた、 魂の叫びが聞こえるような迫力ある肖像画もありました。 この時モデルのアデリーヌ・ラボーは13歳。

セガンティーニの縦長の画面に根元で折れ曲がった松を中心に据えた 風景画がありました。

この絵は描くことなく死亡した彼の「アダムとイヴ」の天国の一部の習作と 見做されていますが、人間の忍耐の比喩として、過酷なアルプスの環境の中で 生き残ろうとしている、捻じれて曲がった松の木に関心を集中させています。

ピカソのバラの時代の白眉となる珍しい集団裸図「ハーレム」も ここにありました。

まだまだ沢山の名画があり、充実した1日を過ごせる美術館です。

(添付9:ピカソ作「ハーレム」 は著作権上の理由により割愛しました。
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