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美術館訪問記-313 スミスカレッジ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:スミスカレッジ美術館正面

添付2:スミスカレッジ美術館内部

添付3:コロー作
「ガスコーニュの娘」

添付4:コロー作
「真珠の女」 
ルーヴル美術館蔵

添付5:コロー作
「朝、ニンフの踊り」 
オルセー美術館蔵

添付6:モネ作
「ブージヴァルを流れるセーヌ河の夕暮れ」

添付7:ジョン・エヴァレット・ミレイ作
「瞑想」

添付9:スミスカレッジ美術館男性用トイレ

添付10:スミスカレッジ美術館女性用トイレ

フード美術館のあるニューハンプシャー州ハノーヴァーから国道91号線を 南に150km程下ると、マサチューセッツ州ノーサンプトン市に着きます。

人口29000人足らずの文化都市で、ここにセブン・シスターズと呼ばれる アメリカ合衆国名門7女子大学の中で最大のスミス大学があります。

1875年創立で、学生数3000人足らずの米国最大の私立女子大学です。 「風と共に去りぬ」で知られたマーガレット・ミッチェルは卒業生の一人。

ここの大学付属美術館「スミスカレッジ美術館」は1879年開館。

この美術館はオールド・マスターには乏しいのですが、 欧米の近現代絵画のコレクションは一流美術館並み。 日本では全く知られていないためか、初見の絵が多く、感動しました。

特にコローの現代のモナリザとも言うべき「ガスコーニュの娘」は 素晴らしかった。まるでギリシャの女神のように毅然として前方を見詰める 女性には気品と威厳があり、彼の数ある肖像画の中でも、 ルーヴル美術館にある「真珠の女」と双璧をなすでしょう。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875)はパリで 父は織物商、母は帽子店を営む裕福な家庭に生まれ、父の意向で商人への道を 歩みますが、幼少の頃より好きだった画業が諦められず、 26歳で漸く父を説得して、前年死亡していた妹用の年金1500フランを貰う事に なり、経済的には一生何も心配する事のない恵まれた画家としてスタートします。

当時の1500フランは現在価値にすると800万円くらいでしょうか。

当時のフランス風景画の第一人者、新古典主義のベルタンに師事。 1825年から3年間は父親の援助でイタリアに滞在。 この間に150点余の油彩画と200点以上のスケッチを残しています。

彼は美術館に通うよりも自然の中での写生とそれに基づく作品制作を好んで行い、 光のあたり方による色彩の微妙さ、細部に捉われない全体の量感といった、 50年後の印象派に近いものを芽生えさせています。

帰国後も各地を旅してまわり、野外での制作に熱中しました。 夏は地方へスケッチ旅行に出かけ、冬はアトリエで制作するというパターンを 終生変わらず実行しました。

コローが認められるようになるのは1840年代になってからで、 1846年にはレジオン・ドヌール勲章を贈られていますが、当時まだ絵がほとんど 売れなかったコローを両親は全く認めておらず、その一報を受けた時、 父親は自分が勲章を貰うのかと思ったという逸話が残っています。

両親の死後、発表した「朝、ニンフの踊り」がサロンで大好評となり、 政府に買い上げられた事で、一躍有名になり、以後彼は注文に応えて 同様な銀灰色のヴェールのかかった抒情的風景画を数多く残しています。

風景画の詩人、コロー曰く、「情感こそ唯一の導き手とせよ。現実は芸術の一部。 芸術を完璧にするのは情感なのだ」

コローが風景画に込めた情感は人々の心に癒しを与え、 古き良き時代さえ呼び起こし、彼の描いたノスタルジックな風景画は 人々の心の原風景となり美しき想い出となってこれからも生き続けていくのです。

コローは一方、肖像画も300点以上描いており、特に1866年痛風に襲われ、 スケッチ旅行が困難になってからは、アトリエで多くの人物画を制作しています。

経済的には何不自由なかった彼は、これらの人物画は注文ではなく、画家としての 芸術的な感興と実験によって描かれたものが多いと考えられています。

何ら劇的な所のない、一般庶民を描いたこれらの肖像画は、当時は認められず、 「真珠の女」がルーヴルに入って公開されたのは1889年の事でした。 現在ではコローの人物画は風景画に勝るとも劣らないというのが定評ですが。


スミスカレッジ美術館には他にもスーラのグランドジャットの日曜日の習作、
シャセリオーのアングルの弟子ながらドラクロワそっくりの絵、
ジェロームのベンジャミン・ウエスト風の歴史画、
ドガとクールベの何れも若い頃の意欲的な描きかけの大作、
モネの心に沁みるような夕暮れ風景、
ゴーギャンの画家になる前の全く彼らしくない印象派風の風景画、
サージェントの半円形のおどろおどろしい地獄図、
ミレイの名作「瞑想」、
ホイッスラーの女性肖像画、
ステュアートのレイノルズと見紛う女の子の肖像画、
シャヴァンヌの貧しい漁師の縮小版、
アヴェリーの黒い帽子の女の子、
広重の刷り上がったばかりのような発色のよい版画5点等
印象に残る絵が数多く展示されていたのでした。

これらの作品は寄贈品も勿論ありましたが、大学の購入作品が圧倒的に多い。 具眼の専門家が当時の現代画を安く買い集められた事も一因でしょうが、 余程経済的に恵まれた大学のようです。

ここのカフェにはルフィーノ・タマヨの大壁画が 吹き抜けの2階辺りの壁を飾っていました。

またここの地下にあるトイレは2人の女性アーティストがそれぞれ女性トイレと 男性トイレを素晴しい装飾で飾っており、美術館スタッフは男性用・女性用 両方のトイレを見学することを薦めてくれました。

鑑賞者は私と妻しかいなかった事もあり、物心ついて以来、初めて女性用トイレに 入りましたが、両方のトイレ共、壁や柱、手洗い、便器の中まで青色と白色を 効果的に使用し、世界でもここでしか経験できない環境を作り出していました。

(添付8:スミスカレッジ美術館カフェ、ルフィーノ・タマヨ作「自然と画家」 は著作権上の理由により割愛しました。
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