美術館訪問記-311 ジョンソン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ジョンソン美術館正面

添付2:ジョンソン美術館周辺(美術館のホームページから借用)

添付3:日本工芸「籠と網を持つ漁師」

添付4:ベンジャミン・ウエスト作
「カーマーゼン公爵」

添付5:エリュー・ヴェッダー作
「疑惑と信頼の間で揺れる魂」

添付8:ジョン・シンガー・サージェント作
「ジャヴァの踊り子」

ハーヴァード、プリンストン、イェール大学はアイビー・リーグという アメリカ合衆国北東部に所在する、世界屈指の名門私立大学8校からなる連盟に 所属していますが、8校の内、一番西にあるのがコーネル大学。

アイビー・リーグ8校のうち唯一、南北戦争後の1865年に創立され、 キャンパスは氷河の浸食によって形成された丘陵地の斜面に広がり、 全米で最も美しい大学とも評されます。

ニューヨーク市から北西に300km足らずの場所にあるニューヨーク州 イサカ市にあり、44名のノーベル賞受賞者を輩出している名門校です。

ここの校内にあるのが「ジョンソン美術館」。 1953年創立ですが、現在のユニークなビルが完成したのは1973年。

コンクリートの5階建てですが、積み木細工のような独特の形状は世界に 2つとないでしょう。

エレベーターで5階へ上がると、展望台とアジア美術のコーナーがあり、 イサカの街とコーネル大学の佇まいがビルの4方の窓から360度見渡せます。

日本で明治初期に作られた象牙細工の漁師像があり、 これが1本の象牙から彫られたとはとても信じられない逸品でした。

4階はオフィスになっており、3階はアメリカ美術。

エレベーターを降りて直ぐの所にベンジャミン・ウエストの秀逸な肖像画があり、 イギリスのロイヤル・アカデミーの第2代会長にアメリカ人ながら就任するのが 十分納得できるいかにもアカデミックな絵でした。

ビアスタットやイネス、ベントン、ハッサムのそれぞれの持ち味の出た佳作や、 エイキンズとホッパーの若さと活気のある絵も目に付きました。

エリュー・ヴェッダーの「疑惑と信頼の間で揺れる魂」という作品も 好ましいものでした。

エリュー・ヴェッダー(1836-1923)はオランダ系アメリカ人としてニューヨークで 歯医者の息子として生まれ、父親の反対を押し切って画家への道を選びます。

ニューヨーク、パリ、イタリアで美術を学んだ後、父親の仕送りが打ち切られ、 南北戦争中のアメリカ帰国を余儀なくされますが、南北戦争の終わった後の 1866年にローマに移り住み、86歳で没するまで彼の地で暮らしています。

ヴェッダーは、何回もイギリスを訪問し、そこでラファエル前派の影響を受け、 同派のシメオン・ソロモンとは友人でした。

ヴェッダーが活躍した時代は、アメリカはまだ生まれたばかりの新しい国で、 多くの画家はヨーロッパに留学してリアリズムや印象派、あるいはアカデミックな 様式を学んでいたのですが、ヴェッダーは幻想性豊かな作品を描くことで、 イタリアに住み続けた事といい、他の画家たちに一線を画する存在でした。

エリューの兄、アレキサンダー・マディソン・ヴェッダーは、海軍の軍医で 江戸から明治に変わる時代の日本に駐屯し、日本文化の近代化を目撃しています。

少し広くなった場所の中央に若い女性が全裸で腰掛けているのに驚かされました。

ジョン・デ・アンドレア(1941-)の「ガーネット」という作品なのですが、 全身完全に本物そっくりで、顔などは近寄ってしげしげと眺めても 生きているようにしか見えません。

普通、蝋人形等の作り物に感じる、人体とは異なる素材の違和感が全くありません。

これが芸術かという問いはともかく、生きた人間そっくりを作り出すという 昔からの夢が実現しているのは間違いありません。

2階はヨーロッパ芸術。ブグローの佳作2点とオットー・ディックスのドキリと させる彼らしい作品がありました。

ジャン=レオン・ジェロームのブロンズ像があったのには驚きました。 彼が彫刻もやるとは知らなかったのです。

サージェントの「ジャヴァの踊り子」という縦長の作品も、 彼が東洋人を描いたのを初めて見た気がしました。

地下1,2階では特別展が開催されていました。

(添付6:ジョン・デ・アンドレア作「ガーネット」および添付7:オットー・ディックス作「豹皮の上に横たわる女」は著作権上の理由により割愛しました。
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