美術館訪問記-308 イェール大学美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:イェール大学美術館正面

添付2:イェール大学美術館円筒階段内部

添付3:ラファエロ作
「聖チェチーリア」
ボローニャ国立絵画館蔵

添付4:フランチャ作
「聖母子像:別名ガンバロのマドンナ」

添付5:タッデオ・ディ・バルトロ作
「聖ヒエロニムス」

添付6:ジョン・エヴァレット・ミレイ作
「イエスかノーか」

添付7:ゴッホ作
「夜のカフェ」

添付8:ジョージ・ベローズ作「ジーン嬢」

アメリカ合衆国でハーヴァード、プリンストンとともにビッグ3と呼ばれる 難関大学の一つイェール大学は、コネチカット州ニューヘヴン市に 1701年に創立された米国で3番目に古い大学です。

110カ国から集まる学生数は1万人以上。52人のノーベル賞受賞者、 クリントン夫妻、ブッシュ大統領親子ほか過去5人の大統領、 メリル・ストリープ、ジョディ・フォスターなどが卒業生にいます。

付属の「イェール大学美術館」の創立は1832年と大学付属美術館としては 米国では古い方で、20万点以上の所蔵品を誇っています。

特に初期イタリア美術、アフリカ美術、アジア美術、アメリカ絵画と装飾美術、 現代美術のコレクションの質の高さで知られています。

イェール大学美術館の1953年に開館した別館は最後の巨匠として有名だった ルイス・カーンの処女作で鉄筋コンクリート4階建て。

ただ入り口のある部分は2間程がガラス張りになっていますが、後の外壁は 薄茶色のレンガ色。内部に打ちっぱなしの鉄筋コンクリートの円柱があります。 この内部は階段になって、各階を繋いでいるのですが、 美術館で初めて見る異様な形でドキリとしました。

この美術館のコレクションは素晴らしい。 ドゥッチョやドナテッロからロスコ、ラウシェンバーグまで網羅しています。

名画が多過ぎて選択に困るほどなのですが、これまで触れていないフランチャを 採り上げましょう。

フランチェスコ・フランチャ(1450-1517)は本名フランチェスコ・ライボリーニ。 イタリア、ボローニャで生まれボローニャで死んだ生粋のイタリア人なのですが、 もっぱらフランチャ(イタリア語でフランス人)と呼ばれました。

この頃の画家の大半がそうであるように記録に乏しく、金細工師の修業後、 画家の道に進んだようで、最初に画家として名前が出てくるのは1486年。

ロレンツォ・コスタとは親友で協力して行った仕事も多い。

ロンバルディア派の祖として当代最高の画家の一人と呼ばれるまでになり、 故郷のボローニャはもちろん全イタリアにその令名を馳せ、 多くの諸候は彼の作品を競って手に入れたのです。 そのためかフランチャの作品は欧米の美術館でよく見かけます。

ヴァザーリの芸術家列伝によると、ローマにいたラファエロはフランチャを 当代最高の画家と見做し、ボローニャの聖ヨハネ寺院に飾る聖チェチーリアの 祭壇画をフランチャの下に送ります。

「移送で絵が損じた時か、あるいは絵自体に見落としか欠点があった時は、 どうかいつでも自由に直し改めていただきたい」という謙虚な文を添えて。

天下のラファエロからこんな依頼をされて自尊心をくすぐられない画家はいません。 しかし着いたラファエロの絵を観たフランチャは茫然と立ち尽くしました。 彼我の技量の差の余りの違いに、彼は自惚れの頂点から真っ逆さまに落ちたのです。 そのため劣等感にさいなまれ、鬱病にかかって死んだと言われています。

この美術館にあるフランチャの「聖母子像:別名ガンバロのマドンナ」は 私が観て来た全フランチャ作品の中でも傑作の部類に入るものでした。

他にもシエナの画家、タッデオ・ディ・バルトロの「聖ヒエロニムス」の シャープな描写と鮮やかな色彩、ジョン・エヴァレット・ミレイの 「イエスかノーか」、ゴッホの「夜のカフェ」、 愛嬢を描いたためか、彼らしくない古典的描法で色彩も明るくクリアな ジョージ・ベローズの「ジーン嬢」など、 ごく一部しか採り上げられないのが残念です。