美術館訪問記-304 アングルシー・アビー

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アングルシー・アビーのガーデンの一部

添付2:アングルシー・アビーの館正面

添付3:アングルシー・アビーの館内部通路

添付4:アングルシー・アビーの館図書室

添付5:ジョン・コンスタブル作
「ウォータールー橋の開通」

添付6:クロード・ロラン作
「アポロ神殿で貢物を捧げるプシューケーの父親」

添付7:クロード・ロラン作
「パランテウムに上陸するアイネイアース」

添付8:ゲインズバラ作
「メッティンガム城」

ケンブリッジ市内から9kmほど北東へ行った所に「アングルシー・アビー」という ナショナル・トラスト(第183回参照)があります。

98エーカー(約12万坪)という広大な敷地に、粋を凝らした英国風ガーデンに 囲まれて建つ古い館で、初代フェアヘイブン男爵が1966年、死亡時に 土地、館、家財全てを、現在3代目男爵家族が住む小区域を除いて、 ナショナル・トラストに遺贈したものです。 「目まぐるしく変わりゆく世の中に、自分の生きた時代を残したい」と添えて。

初代男爵はイギリスからアメリカ衆国に渡って、鉱山と鉄道で巨万の富を築いた ブロートン家の3代目で、12歳の時に一家はイギリスに移り、 成人して第1次世界大戦で英軍の近衛騎兵連隊員として働き、1929年授爵しました。

フェアヘイブンはアメリカ合衆国マサチューセッツ州にある地名で、 ブロートン家が住んでいた町でした。

初代男爵は1926年、アングルシー・アビーという歴史ある館と敷地を買い取り、 40年かけて、改築した建物を彼のコレクションで満たし、 荒野を英国でも指折りの20世紀風ガーデンに造り変えたのでした。

門を入ると直ぐ駐車場で、そこから館までかなり歩きます。 しかしよく手入れされた芝生と木々の間を抜けていくのは心楽しく、 所々ガーデンの一部が垣間見えます。彫像が立っていたりもするのです。

邸内には趣味の良い家具や調度品が初代男爵死亡時のままに残されています。

装飾品や彫刻、タペストリーも数多いのですが、絵画も見るべき物があります。

ジョン・コンスタブルが3点ありました。 「ウォータールー橋の開通」はウォータールーの戦いの勝利を祝って1817年に テームズ川に新設されたウォータールー橋の開通式の模様を描いています。

コンスタブルは英国王室の関心を惹こうと意図したのですが、 ペンブローク・ハウスから船出する王族よりも、空や水面の描写により 力の入ったこの絵は思惑通りにはいきませんでした。

またこの絵はコンスタブルが影響を受けたクロード・ロランに対抗する意図も あったでしょう。

クロード・ロラン(1600年頃-1682)は本名クロード・ジュレ。 フランス、ロレーヌ地方の生まれで、通称ロランと呼ばれています。

幼くして孤児となり、1613年頃、ローマへと向かい、同地で風景画家 アゴスティーノ・タッシに師事。その後、生地ロレーヌ地方の他、イタリア、 フランス、ドイツを旅して腕を磨いた後、1627年以降ローマに定住します。

教皇ウルバヌス8世から注文を受け、風景画のスペシャリストとして 声望をはせるようになります。あまりにも人気が高かったために、 彼の作品の偽作、摸作が出回り、自衛のため自作のデッサンを「真実の書」として 1635年以降記録に残したほどでした。

このデッサンは銅版画に複製出版され、後の風景画家の模範となっていきます。

ロランは自然の写実的再現よりも、神話や聖書の内容を風景の中に盛り込み、 空想の古代風建築を付け加えたりして、理想の風景画を生み出したのです。

大気感が漂う、詩情性豊かで明暗対比の強い細密的な風景描写は、 コンスタブルも「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」と称えています。

そのロランの作品も3点ありました。内1点には「ウォータールー橋の開通」と 同じような橋が中景として描かれていました。