美術館訪問記-295 ブランディワイン・リバー美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ブランディワイン・リバー美術館外観

添付2:ブランディワイン・リバー美術館内部最上階

添付3:ハワード・パイル作
「国を築いた人々」

添付4:N.C.ワイエス作
「少年のためのアーサー王物語・表紙絵」

添付5:N.C.ワイエス作
「玉ねぎのある静物」

添付10:エリフ・ヴェダー作
「筆記具」

広いペンシルベニア州をピッツバーグから東に400km足らず、 フィラデルフィア市の手前にチャッズ・フォードという町があり、 ここに個人美術館ならぬ家族美術館とでも言うべき 「ブランディワイン・リバー美術館」があります。

ブランディワイン川沿いの土手の上に建つ古い水車小屋を改築、増築した この美術館は歴史を感じる赤レンガの建物と、対照的に近代的な円形の ガラス窓越しに見る隣の池と樹々が鮮やかで、牧歌的な周囲の風景と合せて 記憶に残る場所です。

その記憶を強めているのはアメリカの国民的画家アンドリュー・ワイエスと 彼の父や息子、親族達を中心とした3代に続く画家達の作品群と、 アンドリューの個人コレクションによるところもあるでしょう。

画家一家ワイエス家の祖、ニューウェル・コンヴァース・ワイエス(1882-1945)は 通常N.C.ワイエスと表記されますが、マサチューセッツ州の生まれで、 文学好きの母親から幼い頃から美術の手ほどきを受け、神童ぶりを発揮、 マサチューセッツ美術学校で学びます。

美術教授からイラストレーターになる事を勧められ、チャッズ・フォードにいた 当時アメリカを代表するイラストレーター、ハワード・パイルの下で美術を学び、 忽ち彼の手法をわがものとし、弱冠20歳で雑誌の表紙をまかされるのです。

実際に西部を旅してインディアンと生活を共にしたりした後、 チャッズ・フォードに定住し、イラストレーター、挿絵画家として活躍します。

特に「宝島」や「ロビンフッド」「アーサー王物語」など多数の冒険小説の挿絵本を 手掛け成功します。やがて画家としても認められて行きました。 独特の風景画、静物画、肖像画等を残しています。

今でも米国では懐かしの挿絵画家として根強く愛されているようで、 アメリカの美術館では彼の作品をよく見かけます。

長女ヘンリエッテ、次女キャロライン、末っ子の次男アンドリューも画家になり、 著名な画家一族として知られるようになるのですが、 62歳で孫と自動車に乗っている時に列車と衝突して孫共々死亡。

アンドリュー・ワイエス(1917-2009)は、アメリカの田園生活を描いた 清新かつ迫真的なリアリズムによって、アメリカ美術史上極めて特異な地歩を 占めるとともに、国際的にも高い評価を得ています。 日本にも彼の愛好者は多く、過去何度も彼の特別展が開かれています。

また、アンドリューの息子ジェイムズ(1946-)も父同様、 田園生活に題材を求めていますが、とりわけ肖像画において秀でています

1971年に開館したこの美術館は4階建てで、4階にアンドリュー・ワイエス43点。 内訳はテンペラ画14点、水彩画22点、ドライブラッシュ5点、鉛筆画2点。 彼の郷愁を誘うような詩情漂う風景画や人物画は何時観ても心が安らぎます。

3階はワイエスの家族や所縁の画家達に割かれていましたが、 ジェイミー(ジェイムズの愛称)の作品が24点と9割方占めていました。 アンドリューの親友でこの美術館建設の立役者になったジョージ・ウェイマウスの 作品もありました。ジェイミーは彼の姪と結婚しています。

2階はワイエスのコレクションでベンジャミン・ウエストやステュワート、 ウィアー等。ハーネットやペートに混じってエリフ・ヴェダーの トロンプルイユの佳作もありました。エリフ・ヴェダーはアメリカ象徴主義を 代表する画家で、彼が騙し絵も描いていたとは知らなかったのです。

1階はN.C. ワイエスの作品15点やハワード・パイルの作品が24点もあり、 黒人画家ホレス・ピピンも4点ありました。

(添付6:ヘンリエッテ・ワイエス作「青いシネラリア」、 添付7:キャロライン・ワイエス作「キーツのライフマスク」、添付8:アンドリュー・ワイエス作「夜の寝台車」および添付9:ジェイムズ・ワイエス作「ヌレイエフの半身像」は著作権上の理由により割愛しました。
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