美術館訪問記-294 カーネギー美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:カーネギー美術館入口

添付2:マティス作
「千夜一夜物語」

添付3:大広間

添付4:大階段室

添付5:ニコラ・ディ・マエストロ・アントニオ・ダンコーナ作
「玉座の聖母子と諸聖人達」

添付6:セザンヌ作「自画像」 1883-87年

添付7:ドガ作
「入浴」

添付8:ボナール作
「浴槽の中の裸婦」

添付9:エドウィン・オースティン・アビー作
「エレノアの懺悔」

添付10:マースデン・ハートリー作
「冠雪した山」

ピッツバーグにはもう一つ素晴らしい美術館があります。 その名は「カーネギー美術館」。

アメリカの鉄鋼王だったアンドリュー・カーネギーの収集した美術品と基金が基に なっている美術館ですが、ここで驚いたのはフラッシュ撮影が許されている事。 日本は撮影禁止の美術館が多いのですが、世界的には撮影可の所が大半です。 それでもフラッシュOKというのは珍しい。フラッシュ可なのは他には世界中でも ワシントン・ナショナル・ギャラリーぐらいのものでしょう。

またカーネギーは、他のコレクターが名声の確立した大家の作品だけを 集めていたのに比べ、当時の現代作家の作品を「明日の古典」として 収集したとかで、今では入手し難いマティスなどの当時の新進画家の作品が 充実しています。 この美術館はカーネギーが60歳になる1895年に開館したのですが、 「カーネギー国際展」を翌年から始め、当時活躍していた画家たちを招待して、 毎年、あるいは隔年に展覧会を開催し、意に沿う作品を買い上げていきました。

こうして、数多くの20世紀美術の名品がこの美術館に集まっていったのです。 現在も3年に一度の割合で、この展覧会は続けられています。

カーネギー美術館は12時開館。この時間に開館する美術館も珍しい。 少し前に着くと、美術館の前には60人程が開館を待っていました。子供連れが多い。 自然科学博物館も併設しているのでそちらが目当てなのでしょう。 美術館との共通ティケットなので美術館内でも子供連れも多くみかけました。

特徴のある長い階段を上がって2階の絵画展示室へ。左手が常設展。右が特別展。

左手から入るとすぐマティスの「千夜一夜物語」がありました。 マティスは晩年は病気で体力が亡くなった事もあり、単純化された色面の到達点 とも言える切り紙絵を多く制作しています。

この作品は1950年、彼が80歳の時のものですが、単純な美しい原色の色彩と フォルムがリズム感にあふれ、幼児のように自由で楽しく奔放に、 まさに千夜一夜物語のように時を超えて物語を届ける作品となっています。

この美術館は寄贈も多く、収蔵品の増加で1974年に新館が増築されたのですが、 そのためか継ぎ接ぎだらけのような複雑な構成で、動線がぎこちない。

1,2階が吹き抜けになった古代ローマ神殿のような大広間もあります。

ギャラリーが終わる頃3階まで吹き抜けの空間に出ました。大理石の柱が林立し、 階段も大理石。ここには1,2階ぶち抜きの大壁画がありました。 カーネギーの残した十分な資金で作られたのでしょう、贅沢な空間です。

これだけの大美術館ですから名画が数多く並んでいる中で ニコラ・ディ・マエストロ・アントニオ・ダンコーナの絵に惹き付けられました。 クリヴェッリ風の魅力的な祭壇画ですが、これまで目にした事はありません。 それも道理、この画家の作品は世界にこの1作だけしか残ってないのでした。

セザンヌの「自画像」も珍しい。彼の斜め横を向いた上半身だけの自画像は幾つか ありますが、正面を向いて足の一部が描かれた自画像は観た記憶がありません。

ドガの「入浴」も色彩のバランスと微妙なニュアンスが素晴らしい。 81 x 116cmというサイズの油彩画なのですが、浮世絵風の大胆な構図と 彼の得意なパステル画と見違える色調で、この絵はいつも以上に実物を観ないと 真の価値を理解し難いかもしれません。

ボナールの「浴槽の中の裸婦」もまるで宝石が煌めくような色彩の輝きで、 親密派らしい穏やかで暖かい幸福感に満ちているのでした。

アメリカ絵画ではエドウィン・オースティン・アビー(1852-1911)の 「エレノアの懺悔」が英国ヴィクトリア朝絵画風のエレガンスと劇的な構図、 鮮やかな色彩で一際目を惹きました。

この絵はシェークスピアの「ヘンリー6世」の一場面を描いたものですが、 アビーはシェークスピアやヴィクトリア王朝に題材をとった作品を多く描きました。

アビーはペンシルベニア美術学校を卒業後、イラストレーターとして活躍。 チャールズ・ディケンズの「クリスマス・ブックス」やシェークスピア喜劇の 四巻組、ベストセラー本の挿し絵なども描いたりしています。

1878年、イギリスへ移住し、1898年には王立芸術院の正会員となり、 1902年、エドワード7世の戴冠式を描く画家として選ばれ、 祭典の公式の絵画として、バッキンガム宮殿に収められています。 この功績によりナイトを授与されました。

彼はイギリスでもイラストレーターとして活躍しましたが、 1890年代に、ボストンの公立図書館の壁画を英国のアトリエで11年をかけ 仕上げたりもしています。

1908年には新しいペンシルベニア州会議事堂のための多数の壁画に 取り掛かるのですが、癌のため一部未完のまま1911年死去。

隣人で親友だったジョン・シンガー・サージェントがアビーの助手と共同で 未完の部分を補填し完成させます。

アメリカ絵画ではエドワード・ホッパーや画家で詩人のマースデン・ハートリーの 作品も印象に残りました。

私は絵画以外は興味が乏しく、装飾品展示のコーナーは普段は覗かないのですが、 今回たまたま時間があったので、入ってみた所、ウィリアム・モリスや レンブラント・ピール、ドメニコ・ティエポロ等の絵画作品が何気なく 壁にかかっていたのには驚きました。

こういう事があるから、美術館は手抜きせずに全て見て回らなくてはなりません。