美術館訪問記-292 イサム・ノグチ庭園美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:コンスタンティン・ブランクーシ作
「飛翔」
ニューヨーク近代美術館等蔵

添付2:イサム・ノグチ作
「自由」
ロックフェラー・センター入口

添付3:イサム・ノグチ設計のIBM本社庭園の一部
ニューヨーク州アーモンク

添付4:イサム・ノグチが基本設計した札幌市にあるモエレ沼公園航空写真

添付5:イサム・ノグチ庭園美術館外観

添付6:イサム・ノグチ庭園美術館庭園

添付7:イサム・ノグチ庭園美術館内部

添付8:イサム・ノグチ庭園美術館内部

アメリカ合衆国ニューヨーク州、ロング・アイランド・シティに 「イサム・ノグチ庭園美術館」があります。1985年開館。

作家が生前に自身の作品のために設立した美術館としては全米初のもので、 世界で最大のノグチ作品のコレクションです。

イサム・ノグチ(1904-1988)は英文学者で詩人の野口米次郎と、 作家レオニー・ギルモアとの間にロスアンゼルスで生まれますが、 米次郎は単身帰国し、1906年二人を呼び寄せます。

しかし、翌年二人が日本に着いた時は米次郎は既に日本人と結婚していました。

少年期は日本で育ち、母は13歳になったノグチを単身アメリカに送ります。

ノグチは高校卒業後彫刻家を志し、22歳で奨学金を得てパリに渡り、 2年間彫刻家ブランクーシの助手を務めて多大な感化を受けます。

ブランクーシのモダニズムの抽象的表現に傾倒し、 極めて滑らかに仕上げられたフォルムと質感の中に、叙情と情感、 そして神秘的な雰囲気が混在した作品を創出するようになるのです。

その後、アジア・ヨーロッパを旅して見聞を広めた後、ニューヨークに居を定め、 肖像彫刻、舞台美術をへて環境彫刻やランドスケープ・デザインにまで 幅広い活動を開始します。

1938年、ニューヨークのロックフェラー・センターのAP通信社ビルに設置する 作品の制作依頼を受け、「報道の自由」の主題を象徴的に表現した大規模彫刻を完成。

この作品は、後に遊び広場やプラザ、庭園や噴水といったかたちで実現され、 世界各地で高い評価を受けることになる数々の公共空間プロジェクトの先例となり、 彫刻芸術が社会的に重要な役割を果たしうるというノグチの信念を反映しています。

戦後は日本にもアトリエを構えて長期滞在し、丹下健三、猪熊弦一郎、勅使原蒼風、 北大路魯山人、岡本太郎など当時の前衛芸術家たちと交流して刺激を与えあいます。

その後、アメリカ国内外の各地で、彫刻、モニュメント、環境設計を続け、 文字通り「地球を彫刻した男」と呼ばれています。

マンハッタンとクイーンズを隔てるイーストリバーから程近い場所の、 ノグチが使っていたアトリエから道路を挟んで反対側にある、 イサム・ノグチ庭園美術館は2階建てで、塀の中に日本風の庭園を造ってあり、 室内にも庭にもノグチの彫刻が散在しています。

簡素ながら趣のある作りで、東洋と西洋の文化・芸術両方を理解し、体現して来た 芸術家に思いを馳せるには格好の場所となっています。

イサム・ノグチ自身が自らの生涯のモニュメントとして設計したこの美術館 そのものが彼の最高傑作と言われるのも宜なるかな。