コペンハーゲンにはトーヴァルセンの彫刻で満たされている教会があります。
それがトーヴァルセン彫刻美術館より400mほど北西にある「聖母教会」。 隣にコペンハーゲン大学の校舎が建っています。 この教会はコペンハーゲン市の大聖堂であり、デンマーク国の大聖堂でもあります。
教会建設はコペンハーゲンの街の最高地点を選んで1187年に始まり、 1209年にロマネスク様式で完成しましたが、1314年に焼失。 1388年にゴシック様式で再建されました。
教会付属の学校が1479年コペンハーゲン大学として認可され、 教授はドイツのケルンから派遣され、国際化が始まります。
デンマークにとっての最大の悲劇は1807年に起こります。
当時、ナポレオン戦争で動乱の中にあったヨーロッパですが、デンマークは 中立を保とうとしていました。けれども、デンマークの強い海軍が災いし、 イギリスがデンマーク艦隊をフランス側に渡さぬよう、 デンマークへの法外な要求を行います。
イギリス側に入って、海軍を全てイギリスの指揮下に置くか、あるいは中立を保ち、 その代わり艦隊をすべてイギリスに渡すか、という無理な選択を迫るのです。
この要求を呑めなかったデンマークは、すでに首都に上陸して備えていた イギリス軍に、1807年、3日間にも亘る大攻撃を受けたのでした。
この爆撃で完全にイギリスに屈したデンマークは、全ての戦艦と徴収し得る限りの 商船をイギリスに持っていかれてしまいます。
この結果デンマークは心ならずもフランス側に付く事になり、 フランスの敗戦により、ノルウェーを失い、小国へと転落して行くのです。
この時の爆撃で格好の目標となった聖母教会は消滅。
1829年、聖母教会はネオ・クラシック様式で再建されます。 トーヴァルセンは教会内の装飾を依頼され、一時イタリアから帰国して キリストと12使徒達の像を完成します。
トーヴァルセンは天使の捧げる洗礼盤を彼からの贈り物として無償で寄贈しました。
6本柱の聳えるギリシャ神殿のようなファサードを潜って中に入ると、 壁も天井もアプスも白一色。彫刻も全て白大理石製。
中央祭壇がギリシャの小神殿のようになっており、その中に大きなキリスト像が 金地の背景の前に両手を広げたポーズで立っています。 台座にはマタイの福音書11章28節が刻まれています。 「すべて疲れた人重荷を負っている人は私のところに来なさい。 私があなたがたを休ませてあげます」。
その前に床に跪いて聖水盆を差し出す天使像。 両側の壁に沿って、6体ずつ使徒像が並んでいます。
折しもこれも真っ白に塗られたパイプオルガンが鳴り響き、 崇高で荘厳な気持ちで暫し時を忘れて佇んでいた事でした。