美術館訪問記-285 トーヴァルセン彫刻美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:トーヴァルセン作
「イアーソーン」

添付2: H.D.C. マーチン作
「法王レオ12世に彼のスタディオを案内するトーヴァルセン」

添付3:トーヴァルセン作
「法王ピウス7世の霊廟」
サン・ピエトロ大聖堂蔵

添付4:トーヴァルセン彫刻美術館正面

添付5:トーヴァルセン彫刻美術館内部通路

添付6:トーヴァルセン作
「キューピッド」

添付7:トーヴァルセン作
「鷲に化けたゼウスに水を与えるガニュメーデース」

添付8:ホレース・ヴェネット作
「 ヴェネットの胸像とトーヴァルセン」

スウェーデンの隣国デンマークの首都コペンハーゲンには 壮大な個人彫刻美術館があります。

それがデンマークが世界に誇る彫刻家トーヴァルセンのために建設された 「トーヴァルセン彫刻美術館」。

ベルテル・トーヴァルセン(1770-1844)はコペンハーゲンの貧しい木彫職人の家に 生まれますが、幼少から才能を発揮し、僅か11歳で王立デンマーク美術学校に入学。 日中は学校に通い、夜は父親の木彫を手伝うという生活を送ります。

在学中はあらゆる賞を総なめにし、1796年、王家からの奨学金を得てローマに留学。

8月にコペンハーゲンを船で出てパレルモ、ナポリを経てローマに入ったのは 1797年3月8日の事でした。余りにも貧しくて生年月日の記録を持たない彼は この日を「ローマ誕生日」としてこの後、生涯に亘って祝いました。

ローマに残る古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻を数多くスケッチし模彫した後 制作したギリシャ神話の英雄「イアーソーン」は、イタリア一、いや当時世界一の 彫刻家アントニオ・カノーヴァから絶賛され、一躍有名になります。

ネオ・クラシック彫刻の第一人者となった彼の下にはヨーロッパ中の王侯貴賓から 注文が殺到。ローマ法王すら彼のスタディオを訪れ制作を依頼するまでになります。

これら膨大な注文をこなすために雇ったアシスタントの数は 最大50人に及んだといいます。トーヴァルセンは依頼された彫像のスケッチを描き、 彫るのはアシスタントに任せ、最後の仕上げだけを自分で行ったのでした。

トーヴァルセンの作品は現在でもヨーロッパ各地で見かけます。

トーヴァルセンのローマ滞在は40年間になりましたが、帰国の意図を知った デンマークは彼の為の美術館建設に1837年着手。

トーヴァルセンは1838年、デンマーク政府が差し向けた戦艦に乗り 彼の作品やコレクションと共に凱旋帰国します。

私が知る限り、一芸術家の帰国のために国家が戦艦を差し向けたのは 後にも先にも古今東西、例がないでしょう。

トーヴァルセンは所有していた全ての自作品、全コレクションを トーヴァルセン彫刻美術館に寄贈します。

彼は1844年観劇中に動脈瘤で死亡。彼の遺言によりトーヴァルセン彫刻美術館の 中庭にあるバラの花壇の下に埋葬されました。

トーヴァルセン彫刻美術館はコペンハーゲンの中心、 クリスチャンスボー宮殿の隣にあります。個人美術館としてこれ以上の場所は 考えられないでしょう。

建物はネオ・クラシックで屋根の上にはペガサスの馬車の彫刻が鎮座し、 黄色に塗られた外壁には、ローマで大成功した彼の帰国を歓迎する市民の様子が 描かれています。

1,2階の各部屋、廊下にトーヴァルセンの彫刻、壁には浮き彫り多数が 展示されています。ヨーロッパ各国にある彼の代表的な彫刻の石膏像も 飾られています。

天井にはイタリア風の飾り絵が描かれ、床には美しい幾何学模様のタイルが 敷き詰められています。

1階の各小部屋にはデンマーク黄金時代の絵画も展示されていました。 何人もの画家がそれぞれトーヴァルセンの肖像を描いたものや、 デンマークの風景画も多くありました。

その他にもトーヴァルセンが収集したアンティークや、伊独仏の画家達の絵画、 デッサン、彫刻等も展示されていました。